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ブックマーク / yamaiga.com (7)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間

    国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に全長12.3kmの【自動車交通不能区間】供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。があることになっている。 酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。 ついでに小川路峠の説明を、『角川日地名辞典 長野県』に行ってもらおう。 小川路峠 (おがわじとうげ) 飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治

    hatayasan
    hatayasan 2020/11/24
    ページを分割せずに濃厚なテーマを書ききる。一昔前の職人肌のような何かを感じさせる。
  • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

    このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

    hatayasan
    hatayasan 2013/03/17
    御母衣ダム東方の廃橋探訪記。自転車担いでダム湖を登り降りするのはかなりキツイと思う。その9~その11が白眉。
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

    福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

    hatayasan
    hatayasan 2013/03/17
    御母衣ダム沿いのトンネル「福島保木トンネル」の旧道探索レポート。もともとの地名は「福島歩危」と書いていたことを初めて知った。
  • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) 序

    には、まだまだ凄い道がある。 それを、私に思い知らせた道がある。 栃木県一般県道266号「中塩原板室那須線」、 通称 「塩那道路」 オブローダーなら、おそらく誰しもが、一度は聞いた名である。 塩那道路という、愛称とも略称とも取れる道の名前は、そこがただの県道や林道として生を受けた道ではないことを伝えている。 いや、実は塩那道路などという道は、まだこの世には、完全に存在はしていない。 あるのは、将来の塩那道路になるはずだった、パイロット道路と呼ばれる、工事用道路。 そして、辛うじて完成している一部区間である。 塩那道路を一言で言い表すなら、 とにかく凄いところを走る道。 なんと、最高到達高度は海抜1700m。 東北地方には、ここまで高い場所を走る道はない。 塩那道路を擁する栃木県においても、標高でこれを越える道は日光近辺に幾つかあるだけで、稀である。 そして、塩那道路のもう一つの重要なフ

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    hatayasan 2010/10/05
    自衛隊の作った道、って話をオフロードバイクの雑誌で読んだことがあったな。全長50km強、ゲート複数、単独では危険すぎる。
  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道201号 十里木御嶽停車場線

    2008/1/3 16:04 御岳登山鉄道(ケーブルカー)に沿った都道201号。(←) 強烈な下り坂の始まりとなる分岐地点。(→) ケーブルカーの線路と交差しながらその起点駅である滝を目指す都道。 現在地の標高は820m、滝駅は400mにあるから、その差420m。 これを約2.2kmの水平距離でカバーするワケだから、その平均勾配は…  19.1% そんな馬鹿な。平均が20%近いとは…。 お、俺のブレーキパッドは下まで保つだろうか…。 しかし、いまの計算はいきなり揺らぐことになる。 なんというか、地図が…ぜんぜん… 道の実態を追えてない! 例えば、下り初めて初っぱなの都道を上から見下ろすと、左のようなもの凄く折り畳まれた道が見える。 しかし、地形図には全くこの道路線形は描かれていない。 何もなかったかのように淡々と下っている。(確かに30mで高低差20mをカバーしているのは不自然だが)

    hatayasan
    hatayasan 2008/10/17
    東京都の酷な都道。この雰囲気、京都の国道に似ている。cf.http://shinzui.road.jp/477/route477-01.html
  • 道路レポート

    大峠である。 日中に無数にある「大峠」の中でも、国道が通っていた物としては 歴史上最も 大きく 高い 峠であった大峠。 山行が永遠のライバル(自称だが…)『ORRの道路調査報告書』が遂に事業着手したことに刺激を受け、この大作に挑む時が私にも来たと、悟るなり。 まずは手始めに、山行が史上おそらく最も大きいフォント(300px)で、当に大きいんだぞという、有り様を示してみたつもりだが、如何だろう。 格的なレポを始める前に、今回はまず、諸元について大まかなまとめておきたい。 大峠は、17世紀初め頃、伊達政宗によって開削された道である。 当時記された「会津風土記」には、「路狭くて牛馬通せず難」とあり、米沢街道檜原峠越えに対する脇道でしかなかった。 そもそも、東北6県各県間にある山嶺の中でも、福島・山形の間に横たわる吾連峰や飯豊山地は最も高く、最低鞍部の檜原峠でさえ海抜1100mという高さだ

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/08
    山形県の「大峠」旧道。「山さ行かねが」の中の人のレポート。
  • 廃道・廃線・未成道・隧道・林鉄・酷道・古き良き交通~山さ行がねが~

    廃道・未成道・隧道・林鉄・廃線跡 古き良き「交通」を冒険する オブローダー「ヨッキれん」の記録 >> 13/12/11/10/9/8/7/6/5/ 4/3/2/1 >> 4/3/2/1 >> 9/8/7/6/5/4/3/2/1 >> 2/1 >> 3/2/1 >>

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/29
    東北地方の廃線・廃道跡探訪サイト。非常に濃い。今まで知らなかったのが不思議。じっくり読み込みたい。
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