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SocietyとEducationに関するhatayasanのブックマーク (55)

  • 分裂勘違い君劇場 - 魔女狩りをする浦島太郎

    たとえば、農家の成功失敗を決めるのは、ITビジネスとほぼ同じだ。違う点の方がむしろ少ないだろう。 以下の引用部分など、検索置換で単語を置き換えれば、そのままIT業界でも通用する。 http://d.hatena.ne.jp/m_yanagisawa/20060803 もちろんすべての農家がうまくいっているわけではないが、私の義父は農業生産について日々研究を重ねている。近所の方はよく義父のやり方を真似ている(<義父談)。私の地域では義父たちが早くからトウモロコシ生産を始めたが、数年のうちに町内に広まった。義父に言わせれば、埼玉北部では補助金なくして採算がとれないような米作に固執している農家は例えどんなに働いていても努力が足りないのだそうだ。(ただし耕作面積が広くて十分に収益を上げている場合は別だそうだ) 単純に見える農家の作業に関しても「量より質」ということが言えると思う。 どちらも、ビジネ

    分裂勘違い君劇場 - 魔女狩りをする浦島太郎
    hatayasan
    hatayasan 2006/08/03
    「学校で教えてくれない、新しい時代のリテラシーは、目に見えない。それがないために、自分が不利な状況に置かれていることが見えない。この不可視のリテラシーとは「富を生み出す力そのもの」だ。」
  • 分裂勘違い君劇場 - 子供にワーキングプアを容赦なく裁かせる授業

    小学校〜大学で人生のケーススタディーの授業を格的に導入してみてはどうだろうか。 ワーキングプアの人、カフェの店主、サラリーマンなどの、リアルな普通の人々の人生における様々な目論見、状況変化、対処を、シビアに分析して徹底討論する授業をするわけだ。 欧米のビジネススクールで、企業のケーススタディーの授業があるが、あれの人生バージョンだ。 そもそも、ホームレスやワーキングプアの人たちへの救済策がなかなか進まないのは、人々の無知と偏見に起因するところがある。 しかし、「怠けてるからワーキングプアになったんじゃないの?」ということを言う人に対して、「偏見だ」「神経を疑う」「強者の屁理屈だ」と、人格非難によって、疑問そのものを封じ込めたところで、偏見はなくならない*1。 一方で、「ワーキングプアは構造問題だ」というテレビ番組の主張に対する「人はやることやったの?」という疑問に対して、「それは構造問

    分裂勘違い君劇場 - 子供にワーキングプアを容赦なく裁かせる授業
    hatayasan
    hatayasan 2006/07/26
    「容赦なく他人と自分の人生を直視し、容赦なく他人と自分の人生を裁くことを徹底的にやらせれば、無知や偏見というものは、かなり解消されてしまうものではないだろうか。」
  • 学校2.0 - R30::マーケティング社会時評

    はてブではなぜか産経の記事だけが盛り上がっているが、昨年の朝日の記事のほうがずっと詳しいのでそちらを読まれたし。 わがママに先生困った 保護者の「無理難題」(asahi.com) はてブからたどれる言及ブログでは「嘆かわしい」「教師より親のレベルの方が低いんじゃないのか」「この国の将来が心配だ」等々、知ったような口をきいてる方々が多数いらっしゃる。あはははは。みんなはあちゅうテンプレ、好きだなあ。今度は「絶対保護者改革」ですよね、やっぱ。 例のテンプレレベルな憂国談義で盛り上がりたい向きはともかく、この問題については、昨年8月の読売新聞の記事がちゃんと解決策まで提案しているので、そちらを見るべし。逆に言うと、問題だけ投げ出して何の分析も解決へのヒントも提示してない産経は、ただの無責任なセンセーショナリズムと言われてもしょうがないんじゃないかと思う。それに見事釣られるはてなダイアラーおよびは

    学校2.0 - R30::マーケティング社会時評
    hatayasan
    hatayasan 2006/07/24
    「学校から一方的に情報を提供し、それに黙って従ってくれることを期待するのではなく、親をグルーピングしてそこにある適切な刺激を与えることで、自律的な状況判断がコラボされるのを期待する。曰く「学校2.0」」
  • http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/508099.html

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    hatayasan 2006/07/12
    「92.2%は携帯電話やパソコンのメールなど、ITを利用した連絡手段の導入が有効だと考えている」
  • 「公立校」は本当に「ダメ」なのか?(とりあえず、おしまい) - ちゃずけのはてなにっき

    昨日の読み直すと私も結局年収500万で私立に二人子供を行かせた人と教育への自己満足度は 変わらない気がするなあ、、だからホメてってか?自分!当はもっと公立校における子供達の実情の断片を 書こうと思ってたんだけど思いがけず反応をいただいてあわ喰ってうわ言を口走りはじめる小市民な私、、 私がこのタイトルで書きはじめたのは実家の父親が近所の公立中学に通う私の娘にしょっちゅう 「だからあんな学校に」だの「あんな教師が」だの言った事に端を発す。 私の父親は専門分野では大層良心的なインテリなんだが、その他、特に世間的な事に関しては新聞やニュースを すぐ真にうける「亜」インテリで自分の子供達が現役の中学生だった時は忙しくて近所の中学など 全く関心がなかったのに急にオープンスクールなどに出かけてはわざわざ不安材料をあさってくる。 それを孫である私の娘にぶつけるので娘は耐えかねて泣きながら自分の通う学校を

    「公立校」は本当に「ダメ」なのか?(とりあえず、おしまい) - ちゃずけのはてなにっき
  • http://anotherorphan.com/2005/12/post_122.html

  • 極東ブログ: 高学歴になるほど就職しづらい

    今週のニューズウィーク日語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。 有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している まあ、そんな話。 いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。 では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈し

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/31
    「三十代から四十代になってみると、学問なり社会人なりとしてそれなりに成功していても端的に言えば家庭的というか個人の内面的な生き様としては崩壊しているというか索漠としている人々が目立つようになる」
  • http://anotherorphan.com/2006/05/post_270.html

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    hatayasan 2006/05/17
    「「奴隷道徳」とは、「あいつは悪い、だからあいつを嫌う俺は良い」とする。そしてこのような「自分は棚に上げて先に相手のほうを悪い奴」として「うらむ」感情を、ニーチェはルサンチマンと呼んだ」
  • http://anotherorphan.com/2006/05/post_267.html

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/09
    「非常勤講師と言うのは、ジリ貧だと思ってくれていい。いかに待遇が良いとしても、いつかは必ず巣立つ、腰掛なんだと」
  • 純粋なココロ 2.0: 「りはめより100倍恐ろしい」を読んだら、スクールカーストに関する思考の断片が音を立てて組みあがったから一気に書くよ!

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【もの凄いリアリティ】 「野ブタ。をプロデュース」に続く、スクールカースト小説。「いじめっ子キャラ」のAランクから「いじられキャラ」認定されることを回避するために、Bランクによる血で血を洗う階級闘争が、高校のバスケ部を舞台に繰り広げられる。 AがCを人気者に仕立て上げるという、ありえない展開の「野ブタ」よりも、遥かに強いリアリティを感じた。大袈裟でなく、これはノンフィクションだ。この作品にリアルさを感じないという人間は、よっぽど幸せな学生生活を送っていたんだろう*1。心の底から羨ましい。皮肉じゃなく、その幸運を神に感謝し、大切にしてください。 作者は17歳の現役高校生。最近この手の作品が多

  • 「差別」とその周辺 - リツエアクベバ

    思考メモ:差別の周辺/あんたジャージでどこ行くの リンク先を読み、ふむふむ。差別ってネタよりも思ったこと、「きょうだい」は、こんなとこで口を開いているのか、と。親にはなかなか言えんだろう、ましてや友人に言うのもなかなか難しいだろう、言うこと自体がめんどくさくもなりそうだし、妙に同情されてもつき合いにくいだろうし。 「差別」ということを考えると、いろんな意味で難しいと思うし、わからないと言えばわからない。やっぱりこれはそれぞれの立場と経験というものが関係してくるのだろうと思う。 例えば障害を異質や異形ととらえたとき、生理的な違和感ということを感じる人のその感覚の存在というものは避けられないものだと思うし、それは日常的な慣れも関係してくるのだろうとも思う。どういう感覚でも、その感覚自体を「持つ」ということは自由なはず。ただ、そうした要素の感覚が生まれたのなら、それを上手に隠す、ということもまた

    「差別」とその周辺 - リツエアクベバ
  • 時評親爺 : 釈然としない事件(北九州小学5年の自殺)

  • 博士の生き方

  • 博士が100人いる村

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    hatayasan
    hatayasan 2006/03/13
    文系でのらりくらり大学院に進まなくてよかったかもしれない。
  • http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY200603020305.html