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映画と宮崎駿に関するhatikadukiのブックマーク (5)

  • てすかとりぽか 『崖の上のポニョ』 クトゥルー神話

    連休3日目。混んでるんだろうなーと思いつつ観にいったら意外と空いてましたワーナーマイカル板橋。それでも、劇場ロビーにうじゃうじゃいるお子様たちはこれじゃなくポケモンを観に来ていたのですね。 『崖の上のポニョ』 2008年。宮崎駿監督映画。この作品に関して事前に得ていた知識は「ポニョは魚の子」という広告コピーと、「よくわからない映画」という世間の評判だけだったけど、別にわかるとかわかんないとかそういう以前に、とても愉快で楽しい映画でした。 そもそも、子供向けに創られた作品なんで、難しいこと考えずにポニョのキモかわいい動きを見れればそれだけでいいと思います。とりあえず、3つあるポニョの形態のうちでは、半漁人形態の動きが一番かわいいと思います。バルキリーで言うところの「ガウォーク」形態ですね。 あと、やっぱりポニョの妹たちがキモかわいいです。そういう意味では、CMのあのわらわらした魚っぷりを「キ

  • 2004-11-22

    なんだこれわ。 なんか凄い映画を観てしまった。何か狂ったものが映画全体を覆っている。たぶんそれは高橋洋が「自主映画」と呼んだ状態、誰にも望まれず生まれ落ちた企画であるかのような呪われた手触りなのかもしれない。 何が凄いって、宮崎アニメなのに話がさっぱりわからない。押井の「イノセンス」が話はわかるが何を言ってるんだかわからない映画、とするならさしずめこのハウルは何を言ってるんだかはものすごくわかるんだけど話がどうだったかはさっぱり解らない、という感じ。 その場その場で展開することに疑問を差し挟んでいる余地はない。適確なレイアウトと、エモーションな台詞と、滑らかな編集によってシーン単位で何が起こっているかは淀みなく、疑問の余地なくわかる。が、物語がどう、と言われるととたんに不明瞭になる。 この徴候は「千と千尋〜」ですでに表れていた、と言うことはできる。んが、まさかここまであのヤバげな匂いをこの

    2004-11-22
  • 『ゲド戦記』が宮崎吾朗監督でなければならない理由 - 摂津堂テクスト/日記のような、何か

    (重要:殆ど全文引用&恣意的加工につき問題ありとの御指摘を頂いたことに伴い、引用部を全文削除致しました。申し訳ありません。)削除した引用元記事は、岡田斗司夫氏の『「ゲド戦記」についての暴言』(『岡田斗司夫の暴論暴言!』より)です。追記(2006/8/23):元記事の引用とならない部分だけ、一部修正復活しました。追記2:尚、以下に書いてあるのは私の書いた感想みたいなものその他だけであり、元記事は削除済みですから、元記事の内容を目的とされる方は読んでも時間の無駄になるであろうことを申し添えさせて頂きます。結局、引用部以外も削除ということにしておこうかと思います。残った部分だけ残しておくのも妙ですので。追記3:もし、当ページに掲載していた元記事全文を転載しているような方がいらっしゃいましたら、誠にお手数では御座いますが、出来ますれば、その全文転載部に関しては、削除をお願い出来ませんでしょうか? 

  • 混ぜるな危険:動く城と恋物語 - 指輪世界の第五日記

    ハウルの動く城を観てきました。 あらすじ1。 帽子屋で働く主人公ソフィは老婆である。この年を経た老人の所作が、階段を上り下りするなど四肢による動作だけにとどまらず、視線の振り方などいろいろの小芝居で作画されており、素晴らしいのだが、しかしパーティに誘う同僚の娘っ子たちや店長、町のひとびとの対応などから、ソフィは絵面と立ち振る舞いが老婆に描かれているのであって、実は気の持ち方がむやみに老成して人生を早見切りしまくっている少女なのだということが、薄々示される。 帽子を注文先にとどけに行く途中、はなやかな軍隊のパレード。ここの軍勢の格好良さ、頼もしさ、人々の高揚、国民としての一体感と誇りの描写が素晴らしい。しかし、ソフィには感動も嫌悪もない。 ソフィは戦術魔法空軍の青年士官ハウルに出会う。ハウルはエキセントリックで、その感情と行動の脈絡がソフィにはさっぱりわからないが、彼のくれた魔法の指輪は彼女

    混ぜるな危険:動く城と恋物語 - 指輪世界の第五日記
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