「慳」というのは、すでに所有しているものを手放したくないという欲。「貪」というのは、まだ所有していないものを手に入れたいという欲。 これを避けて不慳貪に生きるよう仏法は説くのだけれども、それでは何も手許に残らないじゃないか、というと、そうでもないようだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというか、塞翁が馬というか、手放すことで初めて得られるものというのもあって、そういう常ならぬ流れの中に身を置いても、案外に何も残らないということはないらしい。 あの比較的毒舌なラ・ロシュフコー閣下の箴言の中にも、「貪欲は気前のよさ以上に理財の道に反する」というものがあって、ある程度は呼び水を流さないと経済というものは回らず、経済が回らないと財も成らない。倹約というのはだいたい良いことなのだけれども、これが吝嗇になると不徳になる。その境界がどこにあるのかというと難しい判断になるのだが、だいたい中道とか中庸というもの