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2009年6月16日のブックマーク (5件)

  • プロ格コラム | 日本最後の社長レスラーだった・・・【ターザンカフェ】

    QRコードをご利用頂くか、以下のフォームにケータイのアドレスを入力して送信すると、モバイル版イビジェカフェのURLが届きます。 レスラーが時々、言う言葉がある。「リングの上で死ねたら望だ!」と。しかしあれはウソだったことがわかった。 リングで死んだらまずいよ。悲惨だよ。それだけは絶対にあってはいけないことだ。また「夢は生涯一レスラー!」というのも訂正して欲しい。 ある年齢に達したらやはりセミリタイヤすべきである。三沢選手は日のプロレス界で、最後の社長レスラーだった。 大所帯としての団体。それをまとめあげてみせるトップレスラー兼社長という存在。その信頼感は絶大だった。 「ノア」は三沢選手が社長だから成り立っていた。もっていた。それが古くからあるプロレス団体の最もベストな在り方でもある。 いわばその最後の砦でもあった。違った意味で三沢選手は馬場イズムを受け継いでいたのだ。 馬場さんもオレが

  • スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム:三沢光晴さんの死を、今後のプロレス界には絶対に生かして欲しい件。

    三沢さんが亡くなって一夜明けて、また一夜明けて、なお喪失感は大きくなるばかり。 週末は過去のビデオを見ながら、改めて三沢さんのしてきたプロレスに驚き、大いに楽しみました。ハンセン、鶴田、川田、小橋、田上、秋山、蝶野、武藤…多くのスターと戦う三沢さんは、当に輝いていました。あまりにスゴ過ぎて死ぬんじゃないかと思う試合も数多くありました。でも死ななかったんです、これまでは。彼らの不死身さに僕も甘えていました。調子に乗っていました。三沢が死ぬわけないと、決めつけていたんですから。 14日には日テレ系「ザ・サンデーNEXT」「スポーツうるぐす」で大きな特集が組まれていましたので、事件の詳細を繰り返す必要はないでしょう。月曜日の東京スポーツの1面では、事故直後の三沢さんの表情が写っていましたので、この事故をあえて目撃したい方はそちらを見るといいと思います。興味位で見ると後悔するかもしれませんが…

  • ノア キング三沢急死の波紋 | リアルライブ

    プロレスリング・ノアのキング三沢光晴さん(46)が、13日夜の試合中に頭部を強打して亡くなった。ノアの社長兼レスラーとして箱舟マットをけん引しながら、プロレス界の首領に君臨した男が、もうリングに立つことはない。混迷するプロレス界を支えてきたキーマンの死は、今後の業界を揺るがしかねず、その波紋は計り知れない。 キング急死のショックは甚大だ。13日に行われたノア広島大会の試合で、三沢さんが相手のバックドロップを受けて頭部にダメージを負い、46歳の若さで帰らぬ人となった。同世代の蝶野正洋や武藤敬司、2005年7月に急死した橋真也さんら闘魂三銃士と一つの時代を築いた誰もが認めるトップレスラー。2000年7月に自ら旗揚げしたノアでは、社長業兼レスラーの2足のわらじをはいて激務をこなしていた。 ノアにはなくてはならない存在だった。今春には日テレビの地上波放送の中止もあり、厳しい団体経営を強いられて

    ノア キング三沢急死の波紋 | リアルライブ
  • スポーツ:ZAKZAK

    過酷極める中小企業社長業…三沢光晴さん急死 「満身創痍」でも強行出場 2002年10月、三沢さん(右)と握手を交わす巨人・原監督。社長兼看板選手として必死の毎日だった(クリックで拡大) 13日の試合中に頭を強打して亡くなった人気プロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の所属団体「プロレスリング・ノア」は、事故翌日の14日も福岡市内で予定通り興行を開催した。社長兼看板レスラーの三沢さんの立場は、プロ野球のプレーイングマネジャー(選手兼監督)を上回る過酷な重職。とりわけ、今年3月にテレビ地上波中継を打ち切られてからは金策に頭を痛めていたという。「不況下で苦悩する中小企業の社長さんさながら」との指摘も聞かれる。 大黒柱の三沢さんが亡くなったのは13日、広島での試合中。ノアの一行は14日に福岡へ移動し、ボウリング場を併設する「博多スターレーン」に観客2600人(超満員=主催者発表)を集めて追悼興行を

  • http://www.kamipro.com/column/gk.php?id=1245078032