中国政府は逮捕した市民や僧侶を即刻解放するべきだし、チベットに対する政治・文化・宗教的弾圧は行われてはいけない。もちろんぼくも同意見だし、その素朴な感情において主張を行い、デモに参加し、署名を書き、あるいは他の支援活動に参加することは、正当なばかりでなく事態を少しでも良い方向に近づけていくうえで、必要なことであると信ずる。弾圧にノーを突きつけることに対案は必要ないし、ある問題に声をあげていなかったからといって、別の問題に声をあげる正当性が失われるわけではない*1。 だがしかし、である。自分もチベット問題について何かを言わんと思考してみると、それは多大な困難を伴うものになってしまう。 つまり、われわれが、少なくとも、多少なりとも民族問題とチベットの歴史に関する知識がある者が、チベットの弾圧をやめよというとき、それは単に人身に対しての直接的な弾圧のみならず、数々の法や政策に基づく、政治・文化・