ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (7)

  • 自己責任という呪術 - 地下生活者の手遊び

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081126/1227713875を読んで 自己責任は万能 逃げるような男の子供を産むことに責任がある のであれば、母子家庭に対する支援策はいっさい不要にゃんね。 同じ理路で、典型的な通り魔犯罪以外の犯罪被害者を救済する必要もにゃーな。犯罪をするような輩とつきあっていたのがワリイ。それどころか、交通事故も当然予見されるのに道路に出たほうが悪く、交通事故被害者の救済も必要ナシ。 b:id:metalbabbleというのは、ネット右翼というよりも、思考力と恥の感覚が不自由なヒトなんでにゃーのかな? 呪術としての自己責任 まあ、この手の「被害者にも責任がある」という発想でまず連想するのは、某仏教系教団の集会へ出た時の思い出ですにゃ。 僕が高校1年のとき、弟が某学会員の市会議員の店で万引きをし、警察沙汰を勘弁してもらったので僕が集会にで

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    hgt 2008/11/27
  • カネ儲けがただの趣味である社会を - 地下生活者の手遊び

    天にまします我らの結果平等よ、あるいは地を這うAとB(追記アリ - 地下生活者の手遊びの追記部分に 機会/結果の平等と帰結主義 - モジモジ君のブログ。みたいな。というトラバでの反論をいただきましたにゃ。 簡単に再反論させていただく >「潜在能力」という焦点変数を定めつつ、その測り方を脱構築する、という議論は可能なんです。 ここは了解ですにゃー。 >「結果の平等」と完全に区別された「機会の平等」論は、脱構築できないものでしかありえず、それは無謬性を主張することと変わりません。 うん。 もちろん、僕の書いた、降りられる機会の平等である「機会の平等A」というのは「結果の平等」と完全に区別されたものではありえにゃーですね。 また、この記述は 「「機会の平等」と完全に区別された「結果の平等」論は、脱構築できないものでしかありえず、それは無謬性を主張することと変わりません。」 と機会と結果をひっくり

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    hgt 2008/11/06
  • 天にまします我らの結果平等よ、あるいは地を這うAとB(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    「選択の自由」が排除する人々 - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄 および 究極の不平等という平等の可能性 - よそ行きの妄想のコメント欄にカキコしましたにゃ。 で hokusyuはルールから零れ落ちるもの、あるいは配慮 - 過ぎ去ろうとしない過去というエントリもあげていますにゃ。 そのあたりをいろいろと 「選択の自由」は欺瞞なんです。 中略 ちなみにぼくは機会平等だけじゃぜんぜんだめで、結果平等じゃなきゃいけないと思ってます。左翼なので。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080302/p1 機会の平等は、機会が完全に均等に保障されるルールが成立した時点で「終わり」です。まあ、機会の均等を維持していく努力は必要かもしれませんが、基的にはルール成立の時点で敵対関係は解消され、全員が等しいルールのもとで「競争」していくことになります。 中略 たとえば、機会均

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    hgt 2008/11/04
  • リスク管理の主体は誰であるべきか?(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    リスク学入門1というを読みましたにゃ。 このシリーズは、法学・経済学・社会学・科学技術の各方面からリスクを考えるものですにゃ。第1巻は総論であり、法学・経済学・社会学・工学の各学者の座談会を冒頭に収録してありますにゃ。 堅実な論調になっていますにゃ。残りの巻も図書館にあるので読むつもり。 リスク学入門 1 リスク学とは何か 作者: 橘木俊詔,長谷部恭男,今田高俊,益永茂樹出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2007/07/04メディア: 単行 クリック: 14回この商品を含むブログ (6件) を見る 冒頭の座談会から気になったところをいくつかメモ代わりにおいておきますにゃ。 リスクの課題過大見積もりと責任の蒸発 リスクには自然リスクと人為リスクがあり、人為リスクは多く見積もられる傾向にある これはよく言われることですよにゃ。典型的なのは予防接種。予防接種にリスクがあるのは確かだけれど

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    hgt 2008/10/30
  • 図書館にホームレスを押しつけているのは誰か(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    ほほう、前回エントリの追記で資料もリンクしたけど、まだ「思考の失敗」タグとかつくかー。 何人かのブクマコメに直接応答しておくかにゃ。 id:utushi 「「公立図書館は行政機関なんだからホームレスの人権保護もやれ」とか。なんのための分業社会だよ。」 id:Yagokoro 「行政機関みんな一緒くたって率直に言って馬鹿じゃね?問題は必要な権限と人員と予算だろ?それが無い所には責任はないね。現場は建前じゃまわんねえよ。」 id:satromi 「雨宿りも許容されてるだけで湿気という意味では排除されるべき/そもそも行政機関だと捉えるのが筋違いだと現場は悲鳴を上げてるのに…」 へ? ホームレス対策の分業って機能してたっけ? 行政が有効な対策をとってにゃーから図書館の現場がそのツケをかぶっているんでにゃーの? 1)公立図書館っていうのは「客」から見たら行政側であることは事実 2)公立図書館はその理

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    hgt 2008/09/04
  • 図書館で排除の論理を実行するのはムツカシイ(追加資料、追記アリ - 地下生活者の手遊び

    盛り上がってますにゃー、図書館ホームレス排除問題。 公立図書館は行政機関 村で話題となっている図書館ホームレス排除問題について、寒暖によるホームレスの健康上の危機については行政側に対応する義務があるということは、まあおおよそ同意されているっぽいようですにゃ。 憲法とは公権力の正当性を明らかにするためのものであるという側面があり、憲法に述べられているのは「国民の人権を守ります」という権力からの約束ですからにゃ。人権保護をしない権力に存在意義はにゃーんだな。したがって、行政権力に人権保護の義務が課せられることは自明といえますにゃ。 さて、この問題で「村のサヨク」を批判しているヒトタチの論調の中には 全てを図書館に押し付けてる感が凄く強いんだよね。 http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20080901/p1 というものもありますにゃ。 僕も個々の図書館員には同情を禁じえ

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    hgt 2008/09/02
    「ホームレス関係なく目的外だから」と言う人は多いですが、大元の記事は「ホームレス対策」なんですよね
  • 人のやさしさがあふれているから、今日は雨が降るんじゃないかな - 地下生活者の手遊び

    http://d.hatena.ne.jp/sandercohen/20080813/1218631196とかいう、作り立てのIDで「もめ事」に参入してきた卑劣なカスのエントリに、こんな記述がありますにゃ ああ、悪いけどトリアージの例えには違和感感じなかったよ。 だってトリアージには、 『すべての人を助けたい。それでも誰かを見捨てねばならない』 という中での考え抜かれた優しさがあるからね。 だから俺は福耳先生の、学問を通して伝えたい愛も理解できた。 ホロコーストにはその精神性はない。 少なくとも俺のようなあたまのわるい人間や おそらくはこの件を冷ややかに見ている一般人にとっても。 自分を「一般人」と同じ側におくこのゲロ臭えポジショントーク。 しかも、論証を放棄して 「ただ俺には理解できない精神性があるだけでしたとさ。」 などという逃げが最初にありきとはにゃ。 消費者とか生活者とか労働者とい

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    hgt 2008/08/16
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