このごろの更新傾向を見ていただくとすぐにわかるとおり、いま、詩を読むのがとても楽しい。いや、詩はもともと好きなのだが、日本語でよく「現代詩」と呼称される、一見ルールもなにもないように見える言葉たちの自由さに、最近ひたすら驚かされているのだ。詩、というと、ペソアやプレヴェールのような幸福な例外も存在するとはいえ、海外ではどうしても韻律や形式美が追求され、それらを追求しないものは軽く見られがちである。だが、日本語においては、短歌と俳句という超短詩が形式美の部分を引き受けてくれているからか、その短さには合致しないような詩情の迸りに対しても、懐が深い。これは海外の詩が翻訳されているときにも同様に感じられ、たとえばもともとソネットとして書かれたものが、日本語では韻を踏まない十四行詩として、広く受け入れられている。『マチネ・ポエティク詩集』といった試みが示す、そもそもの不可能性が原因になっているかもし