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ブックマーク / cabanon.exblog.jp (9)

  • 自己肯定を考える | 藤崎圭一郎の雑思録

    何をつくっていいのかわからなくなる。作品をつくる手がとまる。表現力は人並み以上にあるのに、何か意味のあることをしないといけないと思って、表現の手前で立ち止まる。藝大でそんな学生を何人も見てきた。独自の感性に裏打ちされた表現スタイルをもっている同級生と比較して、自分はダメだと思い込み自己否定のスパイラルに陥って出てこられない。他の人と比べることないのにと思うのだが、小中高予備校と協調と競争を同時に強制された社会を生き抜いてきた人たちに、他人を意識するなと言うのは酷である。 でも、キミしかできないことはあるんだよ、自分の手で何かをつくる喜びを実感できるようになってほしい、って心の底から思っている。なぜなら、なんかを見つけると急に自信が湧いてきてつくることに熱中しだす学生もたくさん見てきたからだ。 何なんだろう、そのきっかけって? まずは自己肯定である。自己肯定ができないと自己否定に至ってしまう

    自己肯定を考える | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2019/01/08
    良いなあ、子供にも伝えてあげたい内容
  • ココカラハジマル : 私家版「雑誌原稿書き方_全111条」

    稿の改訂版をnoteにアップしています。項目別に整理しているので見やすいです。下のリンクで最新版をご覧ください https://note.com/cabanon/n/n379c454aad4f 昨日の【雑誌原稿書き方基礎講座】で使ったKeynoteに書いていたことを改変・再編集してアップします。全111条。僕が個人的に積み重ねてきたノウハウです。ライターだけでなく編集者としての心得も混じっています。仕事をしてきた出版社が違えば、このノウハウも違うものになったでしょう。だからあくまでも私家版です。デザイナーや建築家やアーティストや工学研究者の取材記事執筆を前提にした話であることをご了承ください。 *アップデート情報 ・全110条を全111条にしたり、第74条を追加して他を統合したりなど、こそこそ修正しているので、3/5にアップしたものとは少し変わっています(3/8記) ・95条の説明に奥義

    ココカラハジマル : 私家版「雑誌原稿書き方_全111条」
    hiddy216
    hiddy216 2016/08/03
    何度読んでもイイな。こういう視点でルール作ってみようか
  • ル・コルビュジエと国立西洋美術館 | 藤崎圭一郎の雑思録

    上野は、江戸城から北東の方位つまり鬼門に位置する。徳川家康の信を得て江戸の都市づくりに大きな影響力をもった天台宗の僧、天海は鬼門を鎮護するために、徳川家光に上野の山に寛永寺を建立をすすめた。寛永寺は、東の比叡山を意味する東叡山という山号をもち、不忍池は琵琶湖と見立てられ竹生島に模すかたちで弁天堂が建てられた。江戸時代を通じて寛永寺は、徳川将軍家の菩提寺として大伽藍を誇ったが、戊辰戦争で上野の山に立てこもった彰義隊と新政府軍との激しい闘いで大半が消失し、明治時代に公園として整備された。 第二次大戦後、東京は壊滅的な打撃を受け、焼け出された人たちが戦災で焼け出された人たちがそこにバラックを建て、700人規模といわれる集落をつくっていた。今の西洋美術館の敷地には、寛永寺の子院、凌雲院があり、南側には墓地があった。徳川家に関わる墓所が多かったために、その集落は葵部落と呼ばれ、その中には当時まだ合法

    ル・コルビュジエと国立西洋美術館 | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2016/07/19
    すばらしい。歴史を知ると重さが良く分かる。
  • デザイン思考の講義資料 | 藤崎圭一郎の雑思録

    藝大のデザイン概説で「デザイン思考」について語った講義で使用したスライド(Keynoteで制作したものをJPEG化)の抜粋版をアップします。Tim Brownの著書『デザイン思考が世界を変える』を噛み砕いて、「つくることの得意な」美大生向きに作りました。このブログではアニメが使えないので、多少わかりづらいところがありますがご容赦を。そのうち補足の言葉を付け加えていくつもりです。

    デザイン思考の講義資料 | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2015/05/13
    超良いまとめ!!
  • 夢を見ないで夢を叶える | 藤崎圭一郎の雑思録

    年の瀬といえば「芝浜」。リーマンショックや震災や原発事故の後、多くの日人は芝浜の浜辺で大金の入った財布を拾う夢を見てるように思える。アベノミクス、STAP細胞、東京五輪……夢を追い続けたり夢で終わったり。 でもこの国に当に必要なのは、拾った財布に入った大金より、拾った財布を隠してくれる女房かもしれない。 マスメディアは財布探しを煽りつづけ、もし拾ってきた財布に空だったら「期待した人への裏切り」だと拾ってきた人を徹底的に叩く。その繰り返し。人びとが夢見がちになればなるほど、権力者による誘導はたやすい。 芝浜の最後のセリフ「また夢になっちゃいけねえ」って言えるのは、自分なりに真摯に現実と向き合う力を身につけたことで、かつての自分が気づかなかった夢を今の自分がもう叶えているとの自覚があるからで、ここには「夢を見ないで夢を叶える」という奥義がある。 誰かが見せてくれる夢はあなたの夢じゃない。あ

    夢を見ないで夢を叶える | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2015/01/14
    夢番地を思い出した
  • デザインとアートの方法論について | 藤崎圭一郎の雑思録

    デザイン思考やスペキュラティブデザインといった方法論がいかに現代アートの方法論と重なり合うか──。以下の重なり合う方法論を見ていただきたい。依頼主がいるからデザインだとか、自由な自己表現がアートだとか、単純に切り分けられる時代ではなくなっています。 1)リサーチや観察を重ねて、見えない文脈を読みとり、やるべき課題を選択する。 2)関わることで問題を引き出す→たとえば、地域社会を巻き込むプロジェクト型。エスノグラフィの方法論の導入。 3)「作り手と受け手」「作品と人」「道具・空間・環境・人」の関係性(インタクラション)を問い直す。 4)従来の受け手だった人を作品制作プロセスに積極的に巻き込む。 5)スピーディーなプロトタイピングで、多くの人とつくるプロセスを共有し検証を繰り返す。 →ちなみに、つくるプロセスの可視化や共有化は、逆に「その人」しか出来ない、交換不能の領域を浮き立たせる。結果的に

    デザインとアートの方法論について | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2014/12/22
    デザイン(設計、構想)は問題解決がゴールと思っているのだけど、その問題の定義を「効率的に解決するために」上流、下流に動くのがデザイン思考。歴史的に見るとすごい進化ですね。
  • モダニズムについて | 藤崎圭一郎の雑思録

    モダニズムはいまだに世界を覆いつづけている。モダニズムといえば、芸術史や建築史においては、主に19世紀後半から20世紀中盤にかけて、進歩史観や合理主義や科学技術の進展を背景に、芸術家や建築家やデザイナーを、伝統的な方法論にとらわれない新しい造形・建築・社会の構築へと突き動かした運動だが、モダニズムは単なる文化エリートたちの運動ではなかった。20世紀中盤までのモダニズムは初期モダニズムと呼んだほうがいいだろう。 1970年代〜1990年代初頭に世界を覆った建築デザイン界のポストモダンは、確かに初期モダニズムの次をめざしたが、それらは簡単にモダニズムのつくりあげた世界に消費され飽きられて、ポストモダンという名のデザインブームに終わってしまった。しかし、このポストモダンデザインの登場と衰退は、モダニズムの質を示唆すること結果になった。モダニズムは乗り越えられるものではなく、質的に次から次へと

    モダニズムについて | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2014/12/22
    民主化によって一般市民が生産と消費を行えるようになったのが大きく、けだし、資本主義的な側面がやはり大きいですね。web業界だと合理的でないものの弾かれっぷりがすごい。その対抗が川上さんや猪子さんなのだけど
  • 限界看板 | 藤崎圭一郎の雑思録

    3年くらい前でしょうか。限界看板という言葉を思いついたのは、台東区三ノ輪あたりでふと製会社の看板が眼に入って写真を撮った時でした。 「製」の字の崩れ方に人為では真似のできない味があります。 もし単独でこの字だけを見たら判読するのはむずかしかったでしょう。しかし周りの状況で「製」であることがちゃんとわかります。「製」ほど崩れていないけど「」もちゃんとわかります。このギリギリな感じ。危ういけど成立している感じ。それに魅せられたのが限界看板を収集しようと思ったきっかけでした。 「お店もつぶれてしまったし、もうそこまで頑張らなくてもいいよ」って思うものもありますし「あと10年頑張るとよりイイ味になるんだけどな」というものもあります。逆に「営業してんだから、ちゃんとしろよ、けど、そのちゃんとしてない感じがイイだけどね」というのもあります。 「ありのまま」とは、来の姿とも昔のままとも違います。変

    限界看板 | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2014/08/26
    更新嬉しいです!そして変わらずめちゃくちゃ面白い!
  • サルでもわかるデザイン | 藤崎圭一郎の雑思録

    デザインとは「わかる」とか「わからない」というレベルで語るべきものなのでしょうか。わかりやすくデザインを語るという人がいたら、ちょっと気をつけた方がいいと思っています。(僕もそんな仕事をたくさんしてきたわけですが、だからこそ……) みんながわかること、それは善いこと。易しいことは優しいこと。「わかりやすさ」願望の背後には、常に教育的な道徳観が見え隠れしています。「わかる=いいこと」「わからない=よくないこと」であり、「わかる子=よい子」「わからない子=悪い子」です。「わかる」という言葉は、私はよい子でありたいという強迫観念を刺激します。 やさしく巧みな語りができる人なら、何となくわかった気分になった「よい子」をたくさん増やすことができます。「わかる人」が生まれるということは、「わからない人」が生まれるということです。まだ、わかりやすい話の啓蒙を受けていない人は、すべて「わからない人」となる

    サルでもわかるデザイン | 藤崎圭一郎の雑思録
    hiddy216
    hiddy216 2008/07/04
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