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ブックマーク / mf-fagott.hatenablog.com (2)

  • 現代の文語 - 僕が線を引いて読んだ所

    俳句界』では今年の4月号より、松田ひろむ氏による「文法の散歩道」という連載が続いています。9月号、10月号では二回連続で「助動詞『き』をめぐって」と題し、主に『日語を知らない俳人たち』(池田俊二著)の中の文語助動詞「き」の用法に関する見解について批判しています。僕には首を傾げざるを得ない箇所がいくつか見つかり、その中の一点ついてはこのブログの10月4日の記事で私見を述べました。 そして『俳句界』最新号には、松田氏の批判に対する池田俊二氏の反論(一般読者向けの雑誌の記事としてはかなり長文です)が載りました(「松田ひろむさんへの疑問 『し』に完了用法!? 為忠の歌にあるから?」)。言わば、日語文法をめぐる誌上討論のような形になってきたわけですが、どうも僕にはどちらの言い分にもしっくりしない部分を感じてしまうのです。 両者の争点は必ずしも一点に絞られず、議論は錯綜した感があります。しかし、

    現代の文語 - 僕が線を引いて読んだ所
    highcampus
    highcampus 2007/11/06
    久しぶりに古典に関連する文章を読んだ気がする。古典において、言葉がある一つの意味を持てる限界を見定めるのが重要なんだな。
  • 街の品格のために - 僕が線を引いて読んだ所

    前回は、コルビュジェ関連のが立派すぎて買えなかったことを書きましたが、実はそのとき、たまたまこんなを見つけたのです。 『建築は詩―建築家・吉村順三のことば一〇〇』という小さなです。これは2年前「吉村順三建築展」が開催された際に吉村語録集として刊行されたものだそうです。面白そうなところをぱらぱらと立ち読みしていたのですが、家でゆっくり読んでみたくなり、結局買ってしまいました。 家は風景の一部になりますから、環境に責任をもたねばなりません。 環境破壊の点、美的な点でいえば日はいまどん底だと思います。これからはそれを取り返していかねばなりません。日文化の上に立ったデザインでなければなりません。 昔のものには建築に限らず非常に品があった。例えば、法隆寺とか桂離宮のような古いものには品が備わっているでしょう。やはり当にいいもの、品のあるものは、「必要なものだけ」で構成されていることが多

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