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ブックマーク / heis.blog101.fc2.com (2)

  • 勉強を遊びの一つだと思えない人たちが教える側に回るとどうなるか @heis.blog101.fc2.com

    「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記 嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。 くやしいので音読してやったところ、「じゃあ、俺のも読んでみろよ」と6年生の教科書を渡された。それも読んだ。 「すっげー、こいつ、1年なのに6年の教科書読んでるよ!」と、大騒ぎになった。 それ以来、私には「頭のいい子」という称号がついて回った。 賞賛の意味でそう呼ばれることが多かったが、「変わってる」「すかしてる」という意味での蔑称として呼ばれることもあった。 もっと言うと、小学生は小学生らしく振る舞うことが要請されていて、それもかなり細かい基準があるんだよね。小学校1年生は小学校1年生らしく振る舞うことが要請されていて、小学校2年生は小学校2年生らしく・・・ってな感じで、かなり細かい暗黙的な規定があるわけ。 で、

  • 「店の人に訊けば分かる」という常識の崩壊、賢くなければ生きていけないもう一つの理由、技術者という暴力 @heis.blog101.fc2.com

    注)引用部のハイライトは筆者注。 小売店に小物を買いに行くときに、目的とする品物のありかを、自分で探すか、それとも店員に訊くか、で迷うことがある。 「店員が店のことについてすべて熟知している」という仮定(この仮定は法的には当然に前提されるものかと)のもとでは、これは、「店員に訊く」という選択をしたほうが合理的だ。 しかし、実際にはこの仮定が成立しないことがある。 「○○というメーカーの、△△という型番のボールペンがほしいんですけど・・・」と、具体的な商品名を店員に対して入力して、「申し訳ありませんが、当店にはございません。」と言われたにもかかわらず、自分で店内を確認すると、あったりする。 私ははじめてこういう状況に遭遇したとき、キレそうになったのだが、あらためて考えてみると、前述の仮定が成立すると勝手に思いこんでいる私のほうにも責めがあるのではないかという気がしてきたのだ。 「頭のよさ」を

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