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ブックマーク / san-tatsu.jp (3)

  • 僕は渡辺美里と結婚したかった――80年代日本ポップミュージック考|さんたつ by 散歩の達人

    大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた月刊『散歩の達人』の人気連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを配信。東京に生まれ育ち暮らしてきた"昭和40年代男子"樋口毅宏が綴る、あのとき思い出。 いまの若い人たちは渡辺美里を知っているだろうか。「渡辺」で検索したら予想変換で渡辺麻友、渡辺謙、渡辺美優紀、渡辺喜美、渡辺直美の後にようやく出てきた。よござんす。平成生まれの『散歩の達人』読者(いるかな?)に、渡辺美里を熱く語りましょう。 1985年、渡辺美里は高校卒業とほぼ同時にデビューした。もっ、初めて見たときからめちゃくちゃ可愛いと思ったね。こちらは中学2年生で、5つ上の美里がまぶしくて仕方がなかった。当時、美里はTBSラジオで深夜1時から「スーパーギャング」というパーソナリティーが日替わりの帯番組で月曜日を担当していた。他愛のない話ばかりなんだけど、キュンキュンしながら聴いてい

    僕は渡辺美里と結婚したかった――80年代日本ポップミュージック考|さんたつ by 散歩の達人
    hiro-okawari
    hiro-okawari 2021/02/14
    “渡辺美里がオーディエンスを失ったのではない。オーディエンスが渡辺美里を失ったのだ”私も渡辺美里と結婚したかったです。そして千里と結婚すると思ってました。
  • 大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた|さんたつ by 散歩の達人

    月刊『散歩の達人』の人気連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを配信。東京に生まれ育ち暮らしてきた"昭和40年代男子"樋口毅宏が綴る、あのとき思い出。 山下達郎なんて別に好きじゃなかった。初めて意識したのは「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマ曲「土曜日の恋人」だった。その曲が収録されたアルバム『POCKET MUSIC』がリリースされると同時に、レンタルレコードショップ「友&愛」巣鴨店で借りて聴いてみた。「うーん、それほど……」と思った。僕はアホな中学3年生だった。その後も思春期に、勉強のつもりで達郎の過去作を幾つか聴いたが、やはりハマることはなかった。もっと世代が近い代弁者を求めていたのだと思う。それに渋谷陽一が提唱する「ロックミュージック進化論」にかぶれていたので、山下達郎だけでなく、ポップソングのミュージシャンを「退屈なポップ職人」と見下していた。やっぱり僕はアホだった

    大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた|さんたつ by 散歩の達人
    hiro-okawari
    hiro-okawari 2021/02/14
    何このエッセイ……みなおもしろい
  • 30年ぶりの大江千里|さんたつ by 散歩の達人

    大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた月刊『散歩の達人』の人気連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを配信。東京に生まれ育ち暮らしてきた"昭和40年代男子"樋口毅宏が綴る、あのとき思い出。 大江千里が大好きだった。 中学生の僕は大江千里のどこに魅かれていたのだろう。あまりに特異なボーカル。「男ユーミン」とも呼ばれるポップでせつないメロディー。大瀧詠一が『A LONG VACATION』『EACH TIME』で、「優しくて、弱さを晒け出せる」新しい男性像を提示し、社会現象を巻き起こしていたが、イラストレーター永井博のジャケットでもわかるように匿名性が高かった。そのすぐ後、当時20代前半の大江千里はメガネをかけた王子として、新しい男性像を具現化してみせた(ちなみに大江千里が1983年にデビューしたときのキャッチコピーは「私の玉子様」。林真理子作)。 今ならそんな風に評論家めい

    30年ぶりの大江千里|さんたつ by 散歩の達人
    hiro-okawari
    hiro-okawari 2021/02/14
    “僕はただ単純に千里のことを、「ものすごくいい歌を歌う人」だから大好きだった”同じかも。今も聞いてるもん。
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