例えに沿って言うなら、グーグル=飛行機(既存知識体系の集積⇒これも毎秒変化し続けている)=ロマンティックでない、トンボの飛行原理が分からず苦闘する科学者=ロマンティック、ということらしい。 この時点であほらしくなってしまう。逆にトンボの飛行原理が分かっていてトンボ型飛行機が実現し(でも実用度ゼロ)、実現して(実用度アリ)いる飛行機の飛行原理が分からなかったら、どうするつもりなんだろう。トンボという「ロマン」ありげな言葉を利用した印象論だ。 「グーグル的なもの」に負けるぞ、てどういう意味なんだろう? この二つは何の関係もない。物の原理を解明することと「グーグル的なこと」と無関係に決まっている。関係しているとしたら、それはたった一つしかない。 トンボの研究はカネにならない、飛行機の研究はカネなる という昔から存在する陳腐なことだ。実際は、これもきわめて表面的な考えで、ヘタレなわけだけれど。もち