時は流れない、のか。鈴木理策は神妙に紀伊半島の故郷で写想します。 「半島」 私の生まれた和歌山県新宮市は紀伊半島の南部に位置する。標高1500~1900メートル程の尾根が連なる紀伊半島では古くから山岳信仰が盛んで、「神が隠る所」「死者の霊魂が隠る所」等を意味するという「クマ(=こもる)」から派生して「熊野」と呼ばれてきた。 半島の周囲にはわずかにひらけた平地が続く。私はこの平野部で山々の姿と太平洋の広がりを眺めながら育った。18歳で故郷を離れ、東京で生活するようになってから、自分の生まれ育った場所の特異さ、面白さにあらためて気付き、その風景を主題として制作してきた。めまぐるしく変わる人為的な時代変化とは別の時間軸の中で、熊野の風景は変わらずに存在し続けると思っていた。自然に向かってシャッターを切ることは、大きな時の流れに自身の知覚を差し出す行為であった。 しかし2011年9月に紀伊半島を襲
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く