80年代のWWEで一世を風びした“伝説の日本人ペア”といえば山崎五紀&立野記代のJBエンジェルス。アメリカのファンはいまでもJumping Bomb Angelsの華麗なるムーブの数かずをはっきりと記憶にとどめているのだ(写真はWWEのメディア配布用オフィシャル・プレス・キットより) ヒデオ・イタミや中邑真輔、あるいはTAJIRIやフナキよりもはるかまえにWWEで一世を風びした日本人スーパースターは山崎五紀&立野記代のJBエンジェルスことジャンピング・ボム・エンジェルスである。 全日本女子プロレス所属だったJBがアメリカへ長期ツアーに出発したのは1987年(昭和62年)6月。アメリカの大手ケーブルTV局ESPNで全女の試合映像が全米放映されたことがきっかけで、WWEサイドから試合出場のオファーが舞い込んだ。全女とWWEの仲介をつとめたのは“女帝”ファビュラス・ムーラだった。 1985年(昭