1602年3月24日(慶長7年2月1日)は徳川四天王の一人・井伊直政の命日です。 遡ること約1年半前、関ヶ原の戦いで島津軍を追いかけ、その際の鉄砲傷がもとで死んだともされますが、そこで浮かんでくるのがこの疑問。 当時、鉄砲で撃たれたら医学的にはどうやって死に至ったのか? そもそも戦国時代の鉄砲って殺傷能力はどれくらいあったのか? 弓や槍を凌駕する鉄砲は、戦国時代に種子島へ到着するやいなや、瞬く間に全国へ普及し、合戦時の死因も大きく様変わりしたと言います。 種子島に着く前から実は出回っていた――なんて話もありますが、ともかく今回の歴史診察室のテーマは鉄砲で! 火縄銃で撃たれたら、人はどんな死を迎えるのか? 井伊直政の死因と合わせて考察いたしましょう。 直径10㎜の弾で20㎜の穴が開くまず銃で撃たれ傷は「挫創(ざそう)」か「裂創(れっそう)」に分類されます。 医学的には【鈍器が強く作用、圧迫し