1954年11月1日未明に突如としてアルジェリア各地で起こった武装反乱は、フランス政府やアルジェリア総督府から「少数のテロリスト」またはひとにぎりの「暴徒」の仕業と決めつけられたけれども、これも一世紀以上の抵抗の伝統をひきつぐものだった。そしてやがてこの「テロリスト」ないし「暴徒」は、民族解放戦線(FLN)という政治組織と、軍事組織(ALN)を持ち、広汎な住民の支持を得ていることが、徐々に判明していったのである。 武装ゲリラたちは、人民の大海にかくまわれ守られて、フランスに抵抗した。これに対してフランスは現地の軍隊を増強して徹底的な弾圧を行ない、不審な者と見れば片っ端からとらえて拷問を加え、自白を強要した。*1 フランツ・ファノン。西インド諸島マルチニック島に生まれ、フランスで精神医学を学んだ彼は、精神科医として赴任したアルジェリアで、革命に身を投じ、FLNのリーダーの一人となった。植民地