教育に関するhituzinosanpoのブックマーク (107)

  • だって私は学校が嫌いだから - 非国民通信

    文部科学省初等中等教育教育課程課教育課程企画室、という誤植なんだか早口言葉なんだかよく分からないところで、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案等に関する意見」を受け付けているそうです。なにやら色々なものが長いですね、しかし受付期間は3月16日まで、来週の日曜日までです。短いですね。 国民の意見にも耳を傾けましたよ、と言うアリバイづくりにも見えますが、妙に息巻いているのは日教育再生機構、「お手?」を公表して支持者に似たような代物を投稿するよう呼びかけているようです。そんなことしなくても、政府与党だって十分アンタらと似たようなものですけれど…… さて最もシンプルな方法は、廃止してしまうことでしょうか、学習指導要領を。あんなものは何の役にも立ちません。あれは現場の教員のためでも生徒のためでもなく、教育行政のためのもの

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    hituzinosanpo 2008/03/11
    "塾には「勉強を教える」という明確な目標があり、シンプルにそれが追求されている一方で、学校教育は色々と余計なモノを強要する、むしろそこに重点が置かれているわけです。"
  • 身体への知05

    1 競走ぎらいの子どもたちのもっともな理由 最近、運動会で徒競走やかけっこをプログラムからなくす学校が増えてきているという。自分の勤務している学校でも、ここ数年、徒競走はクラス対抗リレーやゲーム的なリレーに変わってきた。しかし、一人一人が「よーいどん」で走る競走は相変わらず多くの学校で行われている。 まず、こうした競走を考える前に、実際に子どもたちが徒競走をどう感じているかみてみたい。25年以上の教員経験からしか言うことはできないが、徒競走やかけっこが好きな子は、走るのが速く、1~3位という上位に入賞できる子なのである。しかし、「嫌いな子」は圧倒的に走るのが遅い子である。 嫌いになる理由は色々ある。聞いてみると、次のようなことを言う。 まず、第一に、みんなの前でみっともない。漢字のテストなら張り出されることもないし、みんなの前で、点数を言われることもない。なのに徒競走は、運動会という晴れの

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    hituzinosanpo 2008/02/26
    おかざき・まさるさん "私が提案しているのは「競走を禁止するファアシズム」でもなければ、「手をつなげばなかよしになれる」という、安易さでもない。"、"競走は、たくさんあるメニューのうちの、ほんの一つである"
  • タカマサのきまぐれ時評2 障害学からみた学校の本質

    ■『hituzinosanpo』シリーズ第2弾。■今回も、虚をつく提起。 人権教育は、ありえない 2008年01月31日 15時47分11秒 / 障害学 …… なにが教育をなりたたせるのか。たとえば、学生みんなが席にすわって授業をきく。授業に参加する。これをあたりまえのことだと想定すること自体が、おそろしい発想である。 ……わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわりつづけるなど、すべての人間が できることではない。あたりまえのことだ。 ではなぜ進学校では、だいたい みんなが授業に参加できているのか。それは、学生を選別したからだ。 ある学校で、人権教育をおこなう。どのような人権をおしえるのか。どのような教育にするのか。それを議論することも大事だ。けれども、学生たちが その学校に かようようになるまで、さまざまな選別を通過している。学生

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    hituzinosanpo 2008/02/25
    言及していただきました。射程が ぐんと ひろがっている。
  • 全国自治体 在日外国人教育方針・指針集成 鄭 早苗(編) - 明石書店

    目次 第1部 解説編 自治体の『在日外国人教育方針』はどのようにしてつくられるのか[朴一]/在日外国人教育方針・指針の内容[仲原良二]/在日コリアン教育の推移と在日外国人教育方針・指針[鄭早苗]/『在日外国人の幼児・児童・生徒の教育指導資料』(大阪教育委員会)について[藤井幸之助] 第2部 資料編 大阪府 大阪市/大阪府/高槻市/豊中市/東大阪市/摂津市/吹田市/貝塚市/茨木市/大東市/池田市/八尾市/堺市/柏原市/島町/門真市/羽曳野市/箕面市/泉佐野市/寝屋川市/枚方市/守口市/熊取町,以上の教育委員会 兵庫県 神戸市/宝塚市/高砂市/加古川市/播磨町/西宮市/川西市/伊丹市,以上の教育委員会 京都府 京都市教育委員会 奈良県 奈良県/天理市・天理市/桜井市,以上の教育委員会 広島県 広島県教育委員会 愛知県 名古屋市教育委員会 東京都 東京都教育庁/荒川区教育委員会 神奈川県 神

    全国自治体 在日外国人教育方針・指針集成 鄭 早苗(編) - 明石書店
  • 亜紀書房 - お探しのページが見つかりませんでした

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    hituzinosanpo 2008/02/15
    学力という制度を破壊すれば、さらに格差をなくせる。
  • DotsPressニュースアーカイブ

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  • 給食費問題という極めて悪質な無法状態について反自由党のイメージガールから一言(画像あり) - (元)登校拒否系

    教育, 反自由党 | ( id:tokoroten999さんより「 気で勝ちたいんなら、なぜ雪だるまの所にを置かないの?」という愛の革命的指導をいただきました。残念ながらはそこにはいませんでした。ただし反自由党軍事委員会副議長が偶然にもですので、彼女の画像を追加しました。12日午後1時頃。)(それだけだとバランスを欠くので、イザンヌ朝比奈さんの応援団画像も追加しました。12日午後3時頃。)  こんなことが許されていいんでしょうか? とんでもないです。モラルも法も正義もあったもんじゃありません。怒りに震えています。プンスカ! 給費未納に法的措置広がる 「学校給立ち行かない」 http://www.j-cast.com/2008/02/10016427.html市川市が給申込制へ http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=120000

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/02/12
    "教育予算に給食費を含めるかどうかについて悩むより、給食以外の予算を全て給食に回して毎日ビフテキや寿司や天ぷらやハーゲンダッツを食べましょう。"
  • みんなが職務違反できる明るい社会をーー「君が代」不起立問題に寄せて - (元)登校拒否系

    反自由党 | [7日12時前後に加筆修正しました。]  人民のみなさん。社会問題に対する正しい左翼的リアクションを指導して30年、反自由党です。「君が代で起立せず」不採用の元教諭勝訴 「裁量逸脱」 都立高校の卒業式などで職務命令に反して「君が代」の斉唱時に起立しなかったことを理由に、都が退職後に嘱託職員として採用しなかったのは違憲だとして、元教諭ら13人が都に慰謝料などを求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。中西茂裁判長は、都による不採用の判断は「職務命令違反をあまりに過大視しており、裁量を逸脱している」として、13人に計2700万円を支払うよう命じた。 一方で中西裁判長は、君が代斉唱時に起立を命じた職務命令は、憲法が保障する「思想及び良心の自由」に反せず合憲だと指摘。起立しなかった教師の処分を含め、都教委が国歌・国旗の取り扱いを定めた03年の通達についても、「教育は不当な支配に服しな

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    hituzinosanpo 2008/02/12
    "「特権的」公務員の足を引っ張るのはもういいです。その「特権」をみんなが享受できるようにしましょう。それで「特権」をもっともっと豪華なものにしていくのです。「特権」のシステムはそうやって崩壊します。"
  • http://edublog.jp/ka2n0gu9/archive/360

  • シンポジウム DAISYを中心としたディスレクシアへの教育的支援

  • 人権ということばを、なんのためらいもなく つかえるひとに、人権を論じるほどの人権意識は存在しない。 - BUILDING AND DEBUG ERROR

    この記事を読んで二晩人権について考えてみた。 人権教育、その中の一番大きな部分を占める平等教育について述べたい。 平等教育の語り方は100あろうが、平等の質はといわれれば、「多様性を認める」事にある。機会均等や権利の平等はその表面上の一例にすぎない。 例えば一般人の生涯収入は3億円といわれるが、年収が300万円でも大好きな家族に囲まれ不自由はあっても満足している幸福を感じているサラリーマンと、年収2億で何不自由なく暮らしているが何となく満たされない幸福感のない裕福層、どちらが世の中を不平等だと思うだろうか。 そしてこの二人が存在することに対してあなたは不平等だと思うだろうか。 大事なのはこの二人のどちらのあり方も認める事こそが大切だと思う。もちろん生まれ持った環境やコネクションや運の違いもあるだろう。 だが、そんなものをせめても誰も得しないし何も生産しないことこそ知らせなけれ

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/02/05
    言及していただきました。ありがとうございます。 "平等教育の語り方は100あろうが、平等の本質はといわれれば、「多様性を認める」事にある。機会均等や権利の平等はその表面上の一例にすぎない。"
  • 人権教育は、ありえない - hituziのブログ 無料体験コース

    人権教育にかんする原稿をよんだ。すばらしい内容。 ここでは、原理的な はなしをかく。とても重要なはなしなので、かんがえてみていただきたい。 なにが教育をなりたたせるのか。たとえば、学生みんなが席にすわって授業をきく。授業に参加する。これをあたりまえのことだと想定すること自体が、おそろしい発想である。 ある高校がある。進学校だ。みんな授業に参加している。一部が いねむりする程度だ。すばらしい。 もうひとつ高校がある。授業中、さわぎっぱなしだ。教師は、しずかにしなさい! すわりなさい!をさけびつづけないと いけない。あるいは、だれにも きこえないことをわかっていながらも、こえをはりあげようとも かきけされてしまうがために、たんたんと授業をつづけているかもしれない。 なぜ、このようなことになるのか。わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわ

    人権教育は、ありえない - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/02/05
    みなさまに感謝。ちょっとした おへんじをコメント欄に かきました。 / 関連:http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081104/1225776487
  • 気になる記事 - uumin3の日記

    昨日は休日出勤だったこともあって疲れがとれたような気もしない雪の日。ぼた雪が降ってますね。 おとといぐらいに読んだ記事でかなり気になるものがありまして。 →人権教育は、ありえない というものなんですが、いえ突っ込みどころは満載で、でもそれを突いて否定するというだけではもやもやしそうだったので…。何が一番気になるのかというところを考えてみたら、 …わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわりつづけるなど、すべての人間が できることではない。あたりまえのことだ。 ではなぜ進学校では、だいたい みんなが授業に参加できているのか。それは、学生を選別したからだ。 という視点が、自分の考えたこともないものだったからなんだろうなと今考えています。突っ込みは取りあえずおいておいて、この考え方は正直したことがありません。時代的なことや地理的なことでもあ

    気になる記事 - uumin3の日記
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/02/05
    言及していただきました。ありがとうございます。
  • 百万眼的な視点 - (元)登校拒否系

    教育 |  僕は教科書というものを廃絶すべきだと信じてきました。けれども、乙武洋匡さんがそれよりも素敵な提案をしてくれました。複眼的な視点http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/08/post_6a7b.html 教科書には二種類あります。当たり障りのないことが書かれている普通の教科書と、嘘八百に満ちた「新しい歴史教科書を作る会」が作った新しい教科書です。あ、いや読んだわけじゃないけど、たぶんそうです。 ところがどうです。 普通の教科書を採択する学校がほとんどで、扶桑社の嘘物語を採択している学校はたったの0.039%! あらビックリ。 これはどう考えても偏っていますね。 こういう時に、凡人ならこう考えます。オーソドックスな教科書を採択する学校を50%にして、残りの半分の学校では歴史修正主義の教科書を使うことにしよう。 でもそれだと、個々の子

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/01/31
    そうです! たし算が、社会をかえる。 "僕はこれまで、どうしたら1をゼロにできるかということに頭を悩ませてきました。けれども、1を100万にしてしまえば、ほとんどゼロも同然。と、そういう話ですね。"
  • 山口先生、そういう言い方はないでしょ - (元)登校拒否系

    山口二郎いわく、 90年代に改革を論じた多くの人が、「市場化を進めていったとき、市民化の足場が掘り崩される」ということを、あまり判っていなかった。今でこそワーキングプアとか格差とかいわれているけれど、当時の改革論議では、規制緩和を徹底したときに何が起こるかという心配をしている人なんて、ほとんどいなかった。 (EU労働法政策雑記帳より孫引き) え〜と、左翼は90年代から規制緩和も民営化も普通に批判してましたが・・・。っていうかそういう改革が始まったのは90年代じゃなくて中曽根時代でしょ。電電公社をNTTにしたのも、国鉄を民営化したのも中曽根さんですよ。 山口先生の「反省」はいつもこんな感じです。小選挙区制についてもそうでした。今「弊害」だと言われていることは、全部やる前からわかっていたことです。朝日新聞ですら、社説は別にしてちゃんと大きな記事にしてましたよ。 まあ、過去のことはどうでもいいで

    山口先生、そういう言い方はないでしょ - (元)登校拒否系
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/01/28
    これは、すごい。よむべき。
  • 登校拒否解放の(不)可能性 後編 - (元)登校拒否系

    再び前編の最後の言葉を引きます。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 しかしでは、病気などの社会的にマイナスとされている要素を含めて登校拒否を肯定するとは、いったいどういうことでしょうか? それはいかにして可能なのでしょうか? この問題について、今回は3映画における「怪物(モンスター)」の描かれ方を例に考えてみたいと思います。なお、途中で『美女と野獣』と『シュレック』の重要なネタバレが出てきます。あらかじめご了承ください。 1. 『ロードオブザリング』−差別の対象としての「モンスター」 『ロードオブザリング』には、ホビット、人間、エルフ、ドワーフ、魔法使いなどのさまざまな種族が登場します。彼らは、時には悪事を働くことはあっても基的には魅力的な人々として描かれます。一方で、

    登校拒否解放の(不)可能性 後編 - (元)登校拒否系
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/01/25
    "しかし、野獣が元の美しい王子の姿に戻ることがハッピーエンドなのだとしたら、一生を野獣として生きる野獣の立場は一体どうなるのでしょうか。"
  • 登校拒否解放の(不)可能性 中編 - (元)登校拒否系

    前編の最後を僕はこう結びました。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 これに対して、toyoさんはこう書きました。 なぜこんな事をくどくど言うのかというと、僕は「登校拒否児」が差別される理由と「引きこもり」が差別される理由、また「登校拒否は病気じゃない」と言う事の意味が、ゲイの例ではなく僕のたとえ話の方の関係にあるんじゃないかと考えるからです。言い換えると「引きこもり」は「登校拒否児」のサブグループではなく、それ自身(重なり合う所は有るにせよ)別個の問題ではなかろうかと。 「登校拒否は社会に対する不適応だ」と言われるのに対して「登校拒否は高々学校に対する不適応だ。その事を責め立てると、またその事で就職などで差別をするのなら、当に社会に適応できなくなってしまう」と言うのはAの人

    登校拒否解放の(不)可能性 中編 - (元)登校拒否系
  • 登校拒否解放の(不)可能性 前編 - (元)登校拒否系

    近年、登校拒否解放運動*1は「バックラッシュ」(反動)に見舞われています。90年代は彼らの主張が一部マスコミに取り上げられ、「理解」が広がっていく時期であったとすれば、現在は不登校の「行き過ぎた肯定」が反省されつつある時期だと言えるでしょう。 そのような時代の転換を象徴するような論争が2001年から2002年にかけて『月刊子ども論』で行なわれました。論争の発端は、斎藤環さん、山下英三郎さん、藤井誠二さんによる、「当ですか!?『不登校の子は、ひきこもりもする』」と題する座談会です*2。この座談会のなかで、斎藤環さんは、東京シューレや一部の精神科医について、「イデオロギー的に『不登校』を持ち上げていきすぎた」と批判しています。斉藤さんは、「『不登校はすばらしい』とか、『不登校にならない感性の鈍い子たち』というような言い方はいきすぎがあったのではないか」と指摘します。そのような考えのために、

    登校拒否解放の(不)可能性 前編 - (元)登校拒否系
  • 三省堂-法律書-「つながり」の教育

  • 日・米・仏の国語教育を読み解く : 「読み書き」の歴史社会学的考察 | CiNii Research

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