2007年3月19日のブックマーク (2件)

  • 2007-03-13

    東浩紀氏によれば、規律訓練型から環境管理型に向かう社会において、社会生活は動物化している。 「情報社会の思想」より 情報技術は人間を 動物的には 幸せにするが人間的にはあやしい (中略) 快を増やすが 自由や世界性の感覚を奪う 「とにかく人間的にならねばならない」というナルシシズムはおかしいが、現状としてどのような苦痛があるかは検討されるべき。 ひきこもりに関連しては、「自分の現実をうまく構成できない」という苦しみが問題になる。 動物的な快でやり過ごすこともできないし、周囲の目線を無視することもできない。 「意識的な生活」の必要が残る以上、自分のいる場所で自分の現実を構成しなおす必要があるのだが(「そうするべきだ」という規範ではなく機能的な必要)、それがうまくいかない。 ▼一人でいても苦痛だが、社会生活の緊張関係に巻き込まれるとさらにどうしようもなくなる。(緊張関係を伴わない社会生活はない

    2007-03-13
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2007/03/19
    よくわからない。「現実を構成する」とは自分なりに「世界をうけとめる」ということではないかしら。上手なうけとめかたとか、下手だとか、できないとか、そんなことは ありえないし、だれにも判断できないのでは?
  • 侮辱しても差別にはあたらない集団 - *minx* [macska dot org in exile]

    少し出発前に時間があったので、誤解を受けて叩かれるのは平気だけど、誤解によって議論が進まないのはたまらなくイヤなのでわたしの見解を率直に書いておく。 「ある集団に属しているということを理由に蔑視発言をされた」として、それが「差別」ではない、という場合があるかどうか。もちろんある。問題は、それがどういう集団ならば蔑視発言をされても差別とは呼べないのか、でしょ。 それをyukiさんがきちんと述べず、また「〜という理由で差別ではない」という反論に「理由のいかんに関わらず差別はいけない」と答えてしまっているのが問題だと思って批判してきたのだけれど、以下は、どういう基準なら「差別ではない」と言えるか、という、わたし自身の考え。 売春者が法律を破るから「侮辱しても差別にはならない」のではない。「法律を遵守している善良な一般市民」こそ、侮辱しても差別にはならないのだ。 売春者が世間のモラルに反する仕事

    侮辱しても差別にはあたらない集団 - *minx* [macska dot org in exile]
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2007/03/19
    説得力ありますね。みんながみんな差別の定義づけを「自分のなかで」おこなったうえで議論してんだけど、それが意識されないのよね。【あたしの「差別」と あんたの「差別」】が おんなじ意味だと おもっちゃう。