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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (2)

  • 「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート

    文化系女子論をめぐる論争については、当のMasao氏も謝罪したことだし、あまり余計なことは言わずに黙っておこうと思っていたんですが、kmizusawa氏に対するLeiermann氏の反論記事を読んで考えを改めました。 文化系女子論をめぐる議論の流れについては、utsutsu氏がこちらとこちらでまとめておられるので、初めて見る方は参考にしてみてください。 Leiermann氏は一連の「文化系女子萌え」騒動に関して次のように述べています。 正直な話私自身はこの件自体に関してはどうでもよく、「好みのタイプ」「理想の異性」という話は、深いところでは無意味であると考える立場だ。そのようなことをいくら妄想していても、実際に好きになってしまう相手はそういう「理想」とおおよそかけ離れた人であることが世の常だと思うからである。 だから、このような話は所詮は与太話であり、ただの戯言と聞き流せばよいはずである。

    「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート
  • 「さみしさ」の恋愛至上主義 - 烏蛇ノート

    昨日の続きというか、昨日の話を反対側から見たお話です。 まずは私の前回の記事を受けてのまりねこ氏の返信記事より。 でも、いったん三次元で生身の男女として恋愛すると、相手によって自分の性的アイデンティティが支えられるんですよ。 「私って可愛くないでしょ?女の子っぽくないんじゃない?男の子みたい?」 と何回も問いかけて、そのたび、 「いや、僕にとって君は『女の子』以外の何でもなくて、だからこそ好きなんだし」 と真顔で当たり前のように答えられると、なんかだんだんに、心のどこかにあった疑問というかワダカマリがほどけていって、そうか、私、女の子として生きてるんだな、好かれてるんだなって、納得しちゃったわけですよ。女として生まれたこと、精神も肉体も含めて、その現実が受け入れられたというか。 (中略) だって、漫画小説のヒーローは、「私だけを」見つめてはくれないし。「私に」語りかけてもくれないし。「私

    「さみしさ」の恋愛至上主義 - 烏蛇ノート
    hmmm
    hmmm 2006/04/07
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