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2013年1月14日のブックマーク (2件)

  • ■ - GameLogue

    デジタルゲーム(=テレビゲーム・ビデオゲーム等)における物語性について、RPG(ドラゴンクエスト・セラフィックブルー、等)やサウンドノベル(夜雀憐)、フリーゲームを引き合いに出しての論文素案。2年前くらいに大学で書いたモノです。 拙い部分が多いので補足もつけときます。 :2011/4/10 更新 2011年3月6日に機会を頂き、これを基にしたプレゼンテーション「Videogame as Narrative」を、DiGRA JAPAN(日デジタルゲーム学会)の若手研究発表会で発表させていただきました。様々な意見を頂き、大変勉強になりました。ありがとうございました。当日の様子はこちらです。 −−−−−−−−− ・Introduction「Videogame as Narrative」 我々が慣れ親しんでいる「ビデオゲーム」が「物語を語る」ようになってからどれくらいがたっただろう。例えば、世界

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  • セラフィックブルーについて - GameLogue

    いまになって漠然と思うのは、「セラフィックブルー」(フリーゲームRPG)は結局、人間として生理的なシステムに順じて生きるにあたって、人間的な感性を完全に放棄することの不可能性を(成功・失敗はどうであれ)描こうとした作品だったんじゃないかな、ということ。 「あ、ありのまま、いま起こったことを話すぜ!空から美少女が降ってきたんだが、そいつが実は「母親」だった…」という一連の流れからも鑑みることが出来るように、既存の物語のフレームワークを用いつつも悉く変奏するこの作品は、冒頭に書いた「人間は生理的なシステムとしての人間を超えられるか」という命題への挑戦に加え、全体として「古きモノ・既存のモノ」のしがらみを打破しようと試みているように感じる。強引に結びつけるとすれば、空から降ってきた女が皮肉にも母親だったというのは、ある意味でテンプレート的な萌えのメカニズムを「無防備」に期待することに警鐘を鳴らす

    セラフィックブルーについて - GameLogue
    homiya
    homiya 2013/01/14
    ”60時間以上かけてたどり着いたこのゲームのエンディングは、実際かなりグダグダである。乱暴にまとめるなら、メンヘラ女が死にたがったり生きたがったりする様を蛇行的に描写するだけだ。”