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ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (3)

  • コヴェントリー・ジレンマから考えるTRPGの遊戯としての可能性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    序文 岡和田晃氏が主催するAGSというゲーム批評blogにおいて公開された「傷だらけの偉大な負け組に捧ぐ:「役割演技式競技」における「ヒーロー」とは何者であろうか?」というエントリについて、主に倫理的問題から対論を展開してみたい。 このエントリにおいては、ある種の英雄像――すなわちある事態において、事態に関わる全員が救われるように行動し、それに成功する者と対置して、ある事態において限定的なリソースしか持たないがゆえ、常に誰かを犠牲にすることでしか他の誰かを救えないという無力さを抱えつつも、なお最善を尽くし犠牲者の死を背負ってゆく者の姿を指し示し、それを称揚しているように、ぼくには思える。それは基的に了解可能な概念であり、多くの人達がそのような人物像に学び得るだろう。特に、有限のリソースしか持たずにゲームに向かうプレイヤーたちが、目的達成のため「何を切り捨て、何を取るべきか」という決断をす

    コヴェントリー・ジレンマから考えるTRPGの遊戯としての可能性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    homiya
    homiya 2010/12/09
  • エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今期の「涼宮ハルヒの憂」においては、原作では1話で済んだ「エンドレスエイト」をループ構造の作品として延々繰り返しているのだが、これはいわゆる「ループもの」の作品とかなり違う文脈で描かれている珍しい例なので、少し論じてみたい。 一般にループものと呼ばれる作品が、実際に同じシークエンスをループすることは余りない。むしろ「ループしている」という状況を、さまざまなベクトルから描きつつ一のシリアルなストーリーラインに落とし込むか、ループという状況によって多数化された物語の上にメタフィクション構造を積み上げ、そのメタ部分をメインラインとして、やはりシリアルなストーリーラインが組まれることが多い。 たとえば、前者の代表的な作品である「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(正確にはその前半部)においては、登場人物たちそれぞれがループの奇妙さに気付き、それを打破しようとしてさらに混乱していくとい

    エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 「速度」と「本質」——表現がテーマを駆逐する | 2008-09-06 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    読書メーターに登録し、読書量を記録することにした。読書の内実を分量で量るのは頂けないが、読書記録や、それを元にした検索データベースとしては役に立ちそうなので、飽きるまでは使ってみることにする。 ともよちゃんと高橋さんがゲームの倫理について語っていたことで、ふと連想したことなど。 大塚英志の文章を念頭において「なにかをメディアに載せて届けるには速度が必要だ」という話は以前もしたが、速度だけが届いて、それに載せたものは届かないということもままある。「なんかすごいスピードで通り過ぎていったね!」という感じで。それで、スピード自体に感銘を受け、自らもその真似をしてスピードを上げて激突死する奴が増えるというような構造はありそうだと思う。 大塚氏の場合「多重人格探偵サイコ」などがその部類に当るのではないだろうか。あの作品において全体的に表現されているのは、当の意味でのオリジナルや超越性みたいなものに

    「速度」と「本質」——表現がテーマを駆逐する | 2008-09-06 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
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