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思想と読み物に関するhonehonerockのブックマーク (10)

  • 自分がヤバい思想にハマらないか俯瞰する仕組みが欲しい|深津 貴之 (fladdict)

    ネットで色々な記事を読んでると、自分の足元とか現在地がよくわからなくなるので、定期的に現在位置とかをチェックする仕組みが欲しいなぁ…というメモ。 1. チェックしたい思想を定義するまず自己診断したい思想やムーブメントを定義し、図のセンターにおく。 「リベラル」「新自由主義」「フェミニズム」とか抽象レベルでも、「地球温暖化」「中絶法」のような具体的な思索でもよい。 2. 上下左右の極端な思想を定義するその分野の思想の、一番極端なバージョンを定義し、図の上下左右に配置する。 超急進 vs 超保守 画面の左右を超急進(既存制度を根からぶっ壊すレベルで進めたい)と、超保守(既存制度を1mmを変えたくない、可能なら巻き戻したい)。 規範遵守 vs 規範無視 画面の上下を、規範遵守(法律と倫理を完璧にコンプリートしたプロトコルで執行したい)と、規範無視(目的の達成のためなら、私刑、暴力、破壊行為など

    自分がヤバい思想にハマらないか俯瞰する仕組みが欲しい|深津 貴之 (fladdict)
    honehonerock
    honehonerock 2024/09/12
    このように「あらゆる思想の位置付け方法を言語化/枠組み化/仕組み化することは可能である」という考え方は歴史的には割と極端な思想なのでは……。
  • 量子力学が投げかける究極の問い──「物質は実在しない」は本当か?(吉田 三知世)

    相対論とならぶ二大物理理論・量子力学は、世界の見方を根幹から変えたことで知られています。量子力学が提示した世界観・物質観に猛然と異を唱えたアインシュタインは、量子力学の創始者の一人・ボーアと激しい論戦を繰り広げました。 「果たして実在とは何か」──大いなる問いをめぐる熱い論争の100年を克明にたどった近刊『実在とは何か──量子力学に残された究極の問い』(筑摩書房)が話題となっています。 同書の翻訳を担当した吉田三知世さんに、その深い魅力を語っていただきました! 量子力学の解釈問題 20世紀の幕開けに萌芽(ほうが)した量子力学は、1925年に理論的に定式化され、はや100年になろうとしている。その応用は着々と進み、エレクトロニクスを生み出して、情報通信技術や医療その他の産業を成り立たせている。スマートフォンなど、日常生活で触れる機器をとおして暮らしにも浸透している。 ジャーナリストのブライア

    量子力学が投げかける究極の問い──「物質は実在しない」は本当か?(吉田 三知世)
    honehonerock
    honehonerock 2021/10/18
    純粋理性批判について言及しているブコメ、賛同する。現代的なコペンハーゲン解釈は、ざっくり、物自体については科学の領分ではない、と言っているように僕には聞こえる。堀田先生のツイートとか読むと特に。
  • 石倉優の仕事 - YU-ISHIKURA.COM

    Domain for History This domain name was built between 2020-09-18 and 2021-07-28 for a period of 2 year. The website title is [ 石倉優の仕事 Yu Ishikura's works ].This domain name was built between 2021-12-07 and 2022-05-26 for a period of 2 year. The website title is [ 石倉優の仕事 ].

  • 砂をかけにいく――コロナ禍にあって「生存することにしか価値を置かない社会」を生きるとは

    少し前に、國分功一郎氏がBS1スペシャル「コロナ新時代への提言~変容する人間・社会・倫理~」に出演し、アガンベンなどをひいて、「生存することにしか価値を置かない社会を生きるとはどういうことか」という問題提起をされていた。コロナ禍にあって、死者を弔うこともできず、病者を見舞うこともできない社会に対し疑義を唱えたアガンベンは多くの批判を浴びて「炎上」したそうである。現下の状況下では不思議ではない。 また、3月の半ばには東浩紀氏が以下のようにtweetしている。 「命より大事なものがある」というのは危険なイデオロギーなんでやばいというのが20世紀の哲学の基的な論調だったんだけど、21世紀の哲学は「命より大事なものはない」というイデオロギーも同じくらいヤバイぞというのを言語化してかないといけないんじゃないかな。最近そんなことを考えてます。 — 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma)

    砂をかけにいく――コロナ禍にあって「生存することにしか価値を置かない社会」を生きるとは
    honehonerock
    honehonerock 2020/07/19
    ここで砂をかけに行く逸話がさらっと出てくるのすごい!
  • 確率とともに生きる – sociologbook

    新型コロナウィルス、というものが流行っていて、この春はすべてのイベントが中止や延期になり、公的な施設には閉鎖されるところもでてきて、学校も全国で一斉に休校にするかどうかという話があり、そのわりには朝の満員電車はあいかわらずで、それからやっぱりデマもとびかっている。 ドラッグストアやコンビニの店頭からマスクが消え去り、さらにトイレットペーパーがマスクと同じ材料で、もう中国から入ってこなくなるので売り切れるだろうというデマがひろがって、トイレットペーパーも店頭からなくなった。コストコに長蛇の列ができたとか、対応していたドラッグストアの店長がになったとか、そういう記事をたくさん読んだ。 いったい誰がどういう意図で流すのか知らないけど、30度ぐらいのぬるま湯を飲むと熱に弱いコロナが死ぬ、というデマもかなり広がって、さすがにこれは笑った。体温より低いやん。 まあ、しかし笑えない。若年者の致死率は低

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    honehonerock 2020/03/04
    岸先生、不妊治療されてたのか。統計は「人事を尽くして天命を待つ」の人事と天命をいわば混ぜる記述をする。果てしない科学の発展が人事の領域を限りなく広げてきた結果、人はいつまでも天命を待つモードに至れない
  • 誰も話したことのないことば – Skenographia

    言語論からはじめよう。ひとつのメッセージは、その背後に潜在的な要素を引き連れていてはじめてことばとして機能する。それは示差的なシニフィアンの体系であって、あるシニフィアンはほかのシニフィアンとの差異によってみずからの意味を担うことができている。「わたしは学校へ行く」という文は、「彼は学校へ行く」という文と等価な構造を持っていることが前提されたうえで理解される。「彼は郵便局へ行く」「彼は郵便局へ走る」、無限に近い連鎖がある。パロールを構成する要素は一定の法則に従い交換が可能なのであり、潜在的にほかでもありうるものとして、この文が伝達される。また、ラングとパロールは、相互に影響を与え合う動的関係にある。話者によってルールに則って記述されたメッセージが、聴者によってデコードされ理解される、という事態は、自然言語のごく限られた局面にすぎない。ラングは、文法書や辞書に記載された機械的な法則や一覧表で

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    honehonerock 2019/01/04
    パロール/ラング/ランガージュをググったら後はすんなり読めた。芸術の見方としてめっちゃ分かりがある。
  • 12/29 落合陽一のnews picsでの発言の抜き出しを好意的に解釈してみる - glamorousdammy

    ken-horimoto.com この記事が面白かったのだが、解釈できないことはないな〜と思ったので、個人的に好意的な解釈を試みたいと思う。 高校時代に現代文が得意だった人間はこういう行為が好きだ。 ちなみに落合陽一は大学院の先輩であるが、を読んだことはない。多分これからも読まないと思う。 あ、ちなみに動画も見ていません。登録すると解約忘れが怖いので。 「人間とは、手段であり目的ではない」ってよく言うんだよね。 社会のための手段が人間であって、人間は目的じゃないので…… ソサイエティっていうか、エコシステム……社会ってエコシステムだと思うんですよ。 エコシステム……を成立させるための人間なので。 だから、人間を重要視……重要視というか、人間を目的にした社会は破綻するんですよ。 で、人間が手段であるっていうところから考え直すと……つまり、人間の定義の問題から始まるっていうところかな……。

    12/29 落合陽一のnews picsでの発言の抜き出しを好意的に解釈してみる - glamorousdammy
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    honehonerock 2018/12/30
    言語化できないのか、めんどくさい(コストかかる)から手を抜いているのか、この手の話が好きな人は分かると思う。当回は明らかに後者なのでは。落合氏はああいうキャラなんだから、宇野氏がもうちょっと何とかしては
  • 最近の対話:象徴秩序への位置づけと自意識、統計学的超自我、写真と説明とか

    最近は土曜日が朝稽古、大荷物を背負って神社仏閣の業務写真を撮りつつ他の写真、夜ワークショップという流れが多いけれど、とにかくこの大荷物が半端ではない。 普段でも化粧ポーチやらやら荷物が多い人なのに、着替え一式に加えカメラ、パソコンまで持っていくと凄い重量。これをかついで三時間歩くというのはなかなか骨が折れる。 日曜日はグッと軽装備で二人で行動することが多いのだけれど、まったく楽しさが違う。 特にこのところ土曜日は都心オシャレエリア、日曜日は郊外や下町を巡ることが多いので、土日の温度差が激しい。 ダー氏と先日浅草を歩きながら「浅草はいいよねぇ、良い壁がたくさんある」とか話していたけれど、この会話が成り立つ関係が異様と言えば異様。良い壁ってなんだ。 綾瀬のタリーズで対談みたいに話が盛り上がった。録音しておけばよかった。 発達障害的なルールの絶対視と前提の不問、従わない人間は排除されて当然とい

    最近の対話:象徴秩序への位置づけと自意識、統計学的超自我、写真と説明とか
  • 社会と愛の話をしよう

    テイがガチになる「システムしかない世界」への抵抗、「正論のまかり通る」時代で書いてきた意味の張り付いた精神病的世界(⇔神経症的近代)という意味で、世界は固定的な物質と化していっています。スターリニズム的ディストピア、「科学的社会主義」が地上を覆おうとしています。 精神医療の世界では1952年のクロルプロマジンの発見以降、次第に薬物療法が支配的となり、精神医学の化学への還元が推し進められました。今やどこの町医者でも気軽にSSRI等が処方され、その問題点も各所で指摘されてきてはいますが、大きな流れが「化学化」にあることは間違いありません。同時にDSMやICDに象徴されるアメリカ流の操作的診断が一般化し、かつての病因論的視点はますます背景に遠のいています。 これらに合理がないと言うつもりは全くありませんし、かつて見られた属人的で恣意的な判断が廃されることで、マクロな規模で奏効しているからこそ、こ

    社会と愛の話をしよう
  • クーリエ連載;エコノミスト紹介、自由のためなら人が死んでもいい

    (『クーリエジャポン』2007/12号 #38) 山形浩生 この連載の開始時に、『エコノミスト』がえらいのはかれらにちゃんとした主張があるからだ、と述べた。多くのメディアは、たとえば朝日新聞や『諸君!』などのように明らかに特定の立場がある場合ですら、客観公正中立というポーズを一応は保とうとする。自分の立場や主張をきちんと述べることはない。 そしてまた、それは当のメディアにとってもよいことなのかもしれない。一部の新聞には「社説」という欄があって、自分たちの立場を一応は表明しようとしている。でもそこに書かれるのは通常はその新聞の中で最もどうしようもない駄文で、まともな理屈もなければろくに勉強した形跡もない、単なる年寄りの変な思いこみが書かれているだけのケースが多い。 だが、この雑誌はちがう。それを如実に見せつけたのが、次の一文だった。 自由の当のコスト 「やつらはわれわれの自由を憎んでいるん

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    honehonerock 2014/10/25
    人命よりも大切なもの、それが自由だ。と、言い切ったエコノミストの論説。犯罪者予備軍(と“まともな人達”にみなされた人達)の自由や人権が恣意的に奪われる社会など、不要と言い切っている。僕もそう思う。
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