まずは、われわれの素朴なものの見方を図にしてみよう。 意味や意識の基底には物理的現実がある。わたしの手になじむハンマー、というものが存在するとして、これを私の所有物と認識し手になじむと感じるのは意識だ。これがハンマーと呼ばれ釘を打つ道具であるのは、人間の言語や社会における意味づけによる。それらを剥ぎ取って基底的なものへと還元すれば、すべては物質だ。木材と金属から構成された道具。原子、電子、原子核、云々。私の意識ももちろん、それらから構成された身体、細胞、脳のうちに生じる。 哲学者なら、たとえばフッサールならば、どう考えるだろうか。彼が提唱したのは、現象学的還元という手法、つまりすべての判断をいったん停止すること(エポケー)、それにより純粋な意識の機能を取り出すこと。 ここで基底的なものとみなされるのは、意識の作用だ。それはある種の志向性をもって意味ある世界を構成する。そこに木が立っている、