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心理学とブログに関するhongkongKimcheeのブックマーク (6)

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    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/07/07
    "ニート"と"ひきこもり"に関する調べもの
  • 引きこもり狩り - 井出草平の研究ノート

    引きこもり狩り―アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判 作者: 芹沢俊介出版社/メーカー: 雲母書房発売日: 2007/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 87回この商品を含むブログ (13件) を見る 芹沢の発言より。 昨日も京都でシンポジウムがあって参加させていただいたんですけど、こういう問題が起きるとだいたい出てくる議論というのは、「よい引き出し屋」さんと「悪い引き出し屋」さんがいるんだという話になるんです。その考えでいくと、このアイ・メンタルスクールの杉浦昌子という人は悪い引き出し屋だという話になるわけです。 そうすると「よい引き出し屋」と「悪い引き出し屋」の間にはっきりと分断線が引かれてしまう。そして自分たちはよい引き出し屋だと考える引き出し屋さんたちも、またいると思うんです。ですから、このような分断が引き出し屋さん自らの口から出てくるならば、アイ・メンタルス

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  • こんな子どもが親を殺す - 井出草平の研究ノート

    こんな子どもが親を殺す (文春新書) 作者: 片田珠美出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2007/01メディア: 新書 クリック: 7回この商品を含むブログ (12件) を見る だが、世の中に「自己の開花」「自己実現」「自分らしさ」をすべて求めることが許されるような仕事がどれだけあるだろうか? たぐいまれな天賦の才に恵まれた人々やごく一部の特権階級を除けば、多くの人々は、「自分らしさ」をある程度犠牲にしながらも、少しばかりの「自己実現」をめざして、日々の仕事をこなしているのではないか。それを受け入れられず、「自己の開花」「自己実現」「自分らしさ」などを求めすぎた若者が行き着く先がひきこもりであるように思われる。そして、その根底には、「すべて可能である」という自己愛的万能感を助長するような幻想が潜んでいるのである。 このように、ひきこもりの若者は、自己愛的万能感からなかなか抜け出せずにい

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  • 近藤直司「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」 - 井出草平の研究ノート

    近藤直司,2006, 「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」 『精神科治療学』21(11);1223−1228. 「ひきこもり」という概念についての論文。 近藤直司氏というと「ひきこもり」はすべからく診断名がつくという立場の人。 以下は斎藤環によって広く一般化した「ひきこもり」という概念についての検討。 いずれにしても,精神医学ではひきこもりを症状ないしは状態と捉えるのが一般的であり,症状・状態の背景には,その原因となる疾患・障害が存在するというのが基的な考え方であった。しかし,こうした精神医学的常識は,社会的ひきこもりの「定義」が普及した頃から,にわかに混乱し始めたように思われる。たとえば斎藤は,「社会的ひきこもり」を「二十代後半までに問題化し,六カ月以上,自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており,ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」と定義し,

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  • 「ヤンキー文化」と「オタク文化」

    斎藤環氏著『文学の徴候』を(一年ぐらいかけて(汗))読了した。ほとんど読んではいたんですが読んでなかった章とかをふと思い出して読み通してみた、という感じです。 で、最後に金原ひとみ氏に触れているんですが、その内容はともかく、「ヤンキー文化」に言及していることに目が行きました。そのあたりのくだりを引用します。 ===== 現代の若者は、コミュニケーションを軸として、おおまかに「ひきこもり系」と「じぶん探し系」という、二つの部族として棲み分ける。「ひきこもり系」とは、コミュニケーションが不得手で対人関係が少なく、しかし「自己イメージの不確かさ」についての葛藤が少ないタイプの若者たちだ。彼らは自己の内的過程に没頭する傾向が強く、そのぶん創造性も高い。いわゆる「おたく」もここに含まれる。いまどき創作活動に関心を持つような若者は、そのほとんどが「ひきこもり系」だ。 一方、「じぶん探し系」の若者は、過

  • 「欲望する父」と「抑圧する父」

    最初に断っておきたい。この文章における「父」とは具体的な父親のことではなく、「父性」などのような、象徴的な父のことを指す。 この象徴的父は超自我でもある。象徴的ファルスΦが大文字の他者Aに及ぼす暗喩作用そのものと言ってもいいだろう。超自我は抑圧を役割としているので、これを象徴的父の一つの側面として捉え、「抑圧する父」と呼ぶことにしよう。象徴的父を「一」という固有性に凝縮したのが「父-の-名」である。 男性にとっての象徴的父は、この「抑圧する父」的な側面の印象が強くなるだろう。男性はエディプスコンプレックスを「父の名」による去勢で終焉するからだ。それは、男性の精神世界においては「トラウマ的な」イベントとなる。 しかし、女性は違う。 女性は原抑圧によってエディプスコンプレックス(エレクトラコンプレックス)が始まる。象徴界に参入してから父親を愛するようになる。そこで、象徴的父から与えられた、象徴

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    hongkongKimchee 2007/06/24
    心理学・精神分析学の観点から象徴的父性について
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