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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (11)

  • [書評] ようこそ実力至上主義の教室へ 1〜7MF文庫J(衣笠彰梧): 極東ブログ

    当初、アニメで『ようこそ実力至上主義の教室へ』を見ていた。なぜこのアニメを見るようになったかは記憶にない。まあ、1話見たら、面白いんじゃねこれ、くらいの気持ちだった。2話3話と見続けると面白かった。といううちに、アニメの1クール(で1シーズン)を見終えると、ちょっと感動してしまった。 この先の話が知りたいなあ、原作あるんでしょと、原作の既刊を見ると、当初6巻まであり(4.5巻というのもあるが)、どうやらアニメは3巻までらしいので、続きをMF文庫Jというので読んだ(キンドル版ではなく)。面白い。6巻まで読み終えた頃、7巻がちょうど出てこれも読んだ(というか予約していたらある日届いた)。 7巻までが一つの大きな物語の区切りがついたかなという感じもした。それから、そういえば、と、1巻から3巻はアニメと違う感じかなと疑問になり、結局これも読んで既刊は全部読み終えた。ふう(ため息)。ちなみに、一部で

  • [書評] 自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実(スティーブ・シルバーマン): 極東ブログ

    かつての漫画家というべきなのかためらうが、私がよく馴染み、また難病を抱え込んでいるという点でも共感をもってきた漫画家さかもと未明さんが、もう数年前になるが、精神科医から発達障害だと診断され、『まさか発達障害だったなんて』(参照)や『奥さまは発達障害』(参照)という書籍で、いわばカミングアウトに近い形でそうした障害を抱えた自分を受け止めて表現しているのを知り、率直、その点、よかったねさかもとさんという思いと、他方、もにょんとした思いもあった。 まず、難病というのは経験者の側になるととんでもない弱者として世界に置かれたようないいようのない不安に陥る。この感覚はできるだけ自著にも書いたが難しいものだった(自著への揶揄を受けるたびに書かないほうがよかったかとも悔やんだ)。そして一人ではもう生きられないという弱者自覚は、もう自分は他者からの慈愛を請うしかないのだ、もう一人孤独に悪ぶっては生きられない

    [書評] 自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実(スティーブ・シルバーマン): 極東ブログ
  • [書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア): 極東ブログ

    昨日、フランス大使館を筆頭に内閣府や森美術館が主催した日仏フォーラム「人工知能は社会をどのように変えるのか?」に参加した。終日にわたる時間を費やした内容の濃いフォーラムであった。得るものは大きかった。フォーラムの紹介文書はいまだPDF形式でダウンロードできる(参照PDF)。 また、この手のフォーラムにありがちな英語=国際語ということもなく、進行案内はすべてフランス語でなされた(ただしフォーラム司会は日語)。つまり、日語とフランス語のみのフォーラムだったのである。その点でも興味深いものだった。熱く語れるフランス語の議論を聞いていると、フランス国内ではこうした熱意で日々弁論が交わされているのだろと確信された。 このフォーラムのパネリストの一人が書の著者ジャン=ガブリエル・ガナシア教授である。発言が興味深かったので、もう少しその思索について知りたいと思っているところ、会場で同書が販売されて

    [書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア): 極東ブログ
  • 朴槿恵韓国大統領弾劾議案可決での雑感: 極東ブログ

    朴槿恵韓国大統の弾劾議案が国会で可決し、大統領の職務が停止となった。この件については他国の内政でもあり、またこういう結末になることも予想していたので驚きはないものの、現実として直面すると、ある種の落胆のような感覚があった。憲法というものがどうあるべきか、憲法はどう機能すべきか、という思いでもある。 日では、憲法といえば、連合国統治下に日国が置かれた主権のない時代に制定された成文法である日国憲法が想起されるが、憲法の原義は国家構成の規定であり、1つの成文法である必要はない。いずれにせよ、そうした国家構成の規定という点で韓国のこの事態を見て、いろいろ考えさせられるものがある。 民主主義国において憲法は基的に国家の権力を縛るものである。が、同時に民主主義の質的な欠陥である衆愚政治における衆愚の権力に歯止めをかける仕組み(構成)でもある。 当然のことだが、韓国の今回の事態が、衆愚政治の結

    朴槿恵韓国大統領弾劾議案可決での雑感: 極東ブログ
  • 交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?: 極東ブログ

    年末の連休に入った静かな明け方。ふと、散歩に出かけたくなり、出かけた。いつもなら早朝の通勤の人などもそれなりに見かける時間だが、今朝は少ない。自動車も少ない。そのまま私は、空虚に魅せられたようにさらに人の気配のない、死んだような朝の街を選んで歩いて行くと、横断歩道の信号機に合った。赤である。私は立ち止まる。 自動車は来ない。信号が青になるのを待ちながら、ふと、信号機が青に変わるまで待つ必要なんかあるのだろうかと思う。 見渡しが悪いわけでもない。自動車も来そうにない。信号機に従わなくても誰も見咎める人もいそうにない。つまり、信号機を無視してもなんら問題がない。 そういうとき、若いときの私は信号機を無視したものだった。欧米人は普通そうする。そもそもルールなんて人の世界の相対的なものである。などと思っていた。しかし欧米人ならすべてそうするわけでもない。フランス人は、自動車が来なければ信号を守らな

  • [書評] 数学の大統一に挑む(エドワード・フレンケル・著、青木薫・訳): 極東ブログ

    たまに現代数学を読むことにしている。付け加えると、理解できなくても、時代の最先端の数学を解説しようとしたは読むことにしている。それでどうかというと、正直なところ、たいていはさっぱりわからない。 同じことは物理学や生物学・医学についても言える。ただ、そうした「わからない」に向き合うのを諦めちゃうのが、なんとなくいやだなと思っている。この、エドワード・フレンケル・著『数学の大統一に挑む』も同じ。めっちゃ、現代数学である。もうこれは無理だろくらいの敷居の高さである。でもちょっと手にとってみたい気分にさせるのは、青木薫さんの翻訳だからだ。日語として読みやすい。内容を理解している彼女ならではの自然さがある。もう25年以上も前になるが、彼女が物理学のアカデミズムから翻訳者なろうとしているころ、数学はお得意だったのでしょと聞いたことがある。ラグランジアンなんかも難しいと思わなかったと答えていた

    [書評] 数学の大統一に挑む(エドワード・フレンケル・著、青木薫・訳): 極東ブログ
  • 中国軍事パレードで気になったこと: 極東ブログ

    昨日、北京では6年ぶりに行われた大規模軍事パレードで、西欧諸国を除く各国から多くの首脳が参加したが、なかでも注目されたのは、国際刑事裁判所(ICC)から、人道に対する罪および戦争犯罪の容疑で逮捕状の出ているスーダンのオマール・アル・バシル大統領が参加したことだった(参照)。以下、バシル容疑者と記す。 バシル容疑者が中国共産党政府からどのような扱いになるのかは気になることでもあったので、NHKの7時のニュースで記念写真を取る様子を見たところ、小柄ながら中央に目立つ韓国の朴槿恵大統領からずいぶん離れ、正面から見て右の端のほうにオマール・アル・バシル容疑者が映っていた。 バシル容疑者への人道に対する罪および戦争犯罪の容疑は、20万人とも30万人以上が殺害され、数千人がレイプされ、数百万人が避難民となった2003年以降のダルフール紛争についてである。具体的には次のようにまとめられている。2009年

  • 安保法制が否決されてもおそらく何の変化もないだろう: 極東ブログ

    安保法制については、国民が民主主義の手順に沿って合意していけばよいことなので、特に言及すべきことはないが、この間、ちょっと気になったことなどもあったので、備忘をかねて書いておきたい。 個別名を出すのもなんなのでぼかすが、この議論に比較的熱心に言及している論者が、この法案(法改正)の原文を読んでいないようだったのだったの知って意外だった。すでに書いたように、私はこうした事態ではとりあえず一次資料に当たることにしている。今回の法案についてもそうである(参照)。そして思ったことはとても難しいということであった。自分の理解を超えていると言っていい。このことはすでに書いたので繰り返さないが、それでも原文を読めば簡単にわかることがあった。私のごく基的な誤読でなければ、「集団的自衛権」という言葉はこの法案には含まれていないということだ。 ではこの法案は「集団的自衛権」について扱っていないのかというとそ

  • 大阪都構想住民投票否決について: 極東ブログ

    大阪都構想については、ブログで語ってこなかった。ツイッターでもほとんど語らなかった。理由は三つある。一つは、基的にこれは大阪という地域住民の問題で、その視点からの問題意識が自分には持てないことだ。別の言い方をすれば、では日国民として東京都民としてどう考えればいいかという課題には変奏できる。それはあとで触れる。 二つ目は、橋下徹氏にまつわる議論に関わりたくないからであった。彼の公開された考え方については、それが話題になるごとに、共感する点もあり反対する点もある。今回の大阪都構想自体について言えば、方向性は正しいと思う。だが端的に言ってネットではアンチ橋下徹が多すぎて、そうした是々非々の議論をしても是の部分だけで橋下シンパ認定を受けて嫌がらせをいっぱい受ける。それははっきり言ってうざったい。ブログについて批判は受け止めるのだが、毎度毎度強迫めいたコメントを読まされるのは、もううんざりしてい

  • ピンイン(拼音)について: 極東ブログ

    中国語を学んでいて、発音についてかなり手こずった。理由はピンイン(拼音)の存在である。当初、ピンインを発音記法だと思い込んでいたからだった。もちろん、そう思い込んでいても間違いではないのだが、記法の記号を一対一に対応しても実際の発音は構成されない。つまり、仮に発音記法ではあっても発音記号ではない。 手こずったのは、今学んでいるピンズラー方式では、実は発音訓練というのは存在しないこともある。これは創始者ピンズラーの直観が関係しているのだろう。結論からいうとそのあたりがなるほどと理解されつつもある。中国語に関して言うと、初学者がピンインから入ると発音がうまく習得できないという思いもあるのだろう。敷衍していうと、そもそも音記法は言語習得の邪魔になるとピンズラーは考えていたとしてよいだろう。 そういうわけで、自分については、基はまず耳に聞こえた音で学ぶ、それからピンインや漢字を見るというふうにし

    ピンイン(拼音)について: 極東ブログ
  • 後人類的知性についての与太話: 極東ブログ

    与太話でも。先日、3日の日経コラム「春秋」(参照)にこんな話があった。もちろん、コラムだし些細な話である。春秋の筆法という趣向ではない。 ベランダに放置してあるプランターに、勝手に生えてきたタンポポやスミレが早くも花をつけている。狭い人為的な空間でも、みごとに生態学的な地位を築く草花のたくましさに驚く。心配なのは、彼らも我ら人類も、生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件が、今大変動しているという科学者の指摘だ。 春秋子、あまり科学的なものの考えをなさらないのであろうが、科学少年の慣れて果てでかつ無粋なダーウィニストである私はこんなことを思った。「生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件」とかいうけれど、別段温暖化がどんどん進んで人類が滅んでも、生命が途絶するわけではないよ、心配すんなよ、と。 氷河期だってなんどもあったんだし、そのおかげでむしろチャンスが回ってきたのが人間種の祖先

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