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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (29)

  • いただきもの - shinichiroinaba's blog

    アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書) 作者: 片岡剛士出版社/メーカー: 光文社発売日: 2013/04/17メディア: 新書この商品を含むブログ (24件) を見る ありがとうございます。これほど早くにこれだけまとまった展望と提言をまとめるとは……。

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    htktyo 2013/04/14
  • 自炊生活開始 - shinichiroinaba's blog

    富士通 A4スキャナ[600dpi・USB2.0] ScanSnap iX500(Windowsモデル) FI-IX500-C 出版社/メーカー: PFUメディア: エレクトロニクス クリック: 4回この商品を含むブログ (3件) を見るPLATA 大型ペーパー断裁機 PC009 出版社/メーカー: オウルテック発売日: 2012/02/20メディア: オフィス用品購入: 17人 クリック: 562回この商品を含むブログ (20件) を見る 買うてもうた。

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    htktyo 2013/01/25
  • 「成長の政治経済学」についてのノート(未定稿) - shinichiroinaba's blog

    11月23日の科研の研究会での報告。 実際にはこの前段のサックス、イースタリーらの論争を軸とする開発の政治経済学の簡単な展望を口頭で行ったうえで、このレジュメの要所だけを紹介した。 未定稿だが単なる勉強ノートで金をとるようなものではないので公開する。専門家がご覧になっていろいろ不備を指摘していただけることを期待していることは言うまでもない。大幅に拡充したものをいずれ紀要あたりに載せて、更にまた大幅に圧縮して準備中の『政治理論入門(仮)』に取り込む予定。 なお口頭報告で紹介したのは 貧困の終焉―2025年までに世界を変える 作者: ジェフリーサックス,Jeffrey D. Sachs,鈴木主税,野中邦子出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2006/04/01メディア: 単行購入: 15人 クリック: 174回この商品を含むブログ (85件) を見るエコノミスト 南の貧困と闘う 作者: ウ

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    htktyo 2012/11/25
  • 日本のポストモダン教育学の原点?(続) - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100720/p3前半を書き直してみた。 日の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろ始まったのであろうか? 「1968年」の余燼冷めやらぬ中、フランス文学出自の書き手を中心として、ジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介は70年代から精力的になされてきたが、歴史学や社会学のアカデミック・サークルの中で彼らの業績が表だって踏まえられ議論されるようになるのは、格的には1980年代以降のことである、と言ってよいだろう。デリダ、フーコー、そしてとりわけジャン・ボードリヤールを踏まえた内田隆三の1980年の論文「<構造主義>以後の社会学的課題」(『思想』676号)は社会学周辺ではとりわけパスプレーキングな仕事として受け止められた。 稿では80年代日教育学におけるポストモダニズム受容の一

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    htktyo 2011/07/30
  • 購入予定 - shinichiroinaba's blog

    大衆化とメリトクラシー―教育選抜をめぐる試験と推薦のパラドクス 作者: 中村高康出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2011/03/25メディア: 単行 クリック: 32回この商品を含むブログ (6件) を見る「習慣病」になったニッポンの大学―18歳主義・卒業主義・親負担主義からの解放 (どう考える?ニッポンの教育問題) 作者: 矢野眞和出版社/メーカー: 日図書センター発売日: 2011/05/24メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 38回この商品を含むブログ (11件) を見る若者はなぜ「就職」できなくなったのか?―生き抜くために知っておくべきこと (どう考える?ニッポンの教育問題) 作者: 児美川孝一郎出版社/メーカー: 日図書センター発売日: 2011/02/18メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 4人 クリック: 91回この商品を含むブ

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    htktyo 2011/06/05
  • 2011年1月17日付学科主任挨拶「入試の意義」 - shinichiroinaba's blog

    http://soc.meijigakuin.ac.jp/gakka/?cat=36 はいずれ消えますから。 ================ お久しぶりです。 来であれば今日は、年度の初頭にアップしたご挨拶でお約束していたお話の続きをするべきなのですが、期間も空きすぎましたし、ちょうど入試シーズンに格的に突入いたしましたので、受験生の皆様に「そもそもなぜ大学は入学試験をするのか」についてお話ししておきたいと思います。 「大学全入時代」に入ったといわれて久しく、受験生の皆さんもたとえば「Fランク大学」、つまり志願者の数が入学定員を下回ってしまって、入学を希望しさえすれば確実に入学できる大学も世の中にはあることはご存じのことと思います。つまり、当たり前の話ですが、大学その他の学校において、入学試験が行われるのは、入学定員を志願者の数が大きく上回ってしまって、入学希望者全員を受け入れること

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    htktyo 2011/01/17
  • 都立青山高校模擬授業「社会学入門の入門」 - shinichiroinaba's blog

    またしても用意したレジュメと全然関係ないことをしゃべったよ。即興でしゃべったことを基にここに書いておくよ。 ========== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する文学や人文学と共通するところが大きいのです。 文学部では文学、歴史学、哲学、心

  • 『社会学入門』付録以来の宿題(続) - shinichiroinaba's blog

    前回の続きです。相変わらずいい加減。 リチャード・ジェフリーのベイジアン意思決定論というのは The Logic of Decision 作者: Richard C. Jeffrey出版社/メーカー: University Of Chicago Press発売日: 1990/07/15メディア: ペーパーバック クリック: 12回この商品を含むブログ (1件) を見る 更に原点たるラムジー論文は言うまでもなくラムジー哲学論文集 (双書プロブレーマタII10) 作者: F.P.ラムジー,D.H.メラー,伊藤邦武,橋康二出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1996/05/15メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (5件) を見る所収。 ところでこの「寛容の原理」に導かれた意味と信念の全体論という構想を提示する際にデイヴィドソンは、そのインスピレーションの源泉としてベイズ

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  • 『社会学入門』付録以来の宿題 - shinichiroinaba's blog

    前著の付録では社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合という課題が手付かずのまま放り出されていた。 その宿題を果たすべく書きなぐっているメモ。そのおかげでようやくベイジアンとかラムジー哲学とかも齧る覚悟が付いたのだが。 何か間違ったことなど書いていればご教示ください。 おそらく我々はドナルド・デイヴィドソンが遺した「思考、意味、行為の統一理論」の構想を人間社会科学の一般理論の基礎として役立てうるのではないか。 デイヴィドソンの哲学体系は一見、行為論、その延長線上での「非法則的一元論」としての心の哲学と、アルフレッド・タルスキの真理論を基礎とした、真理条件意味論を主軸とした全体論的言語哲学の二側面からなるものとしてわれわれの目に映る。しかしこの両系列は80年代以降、デイヴィドソンが「統一理論」「合理性の科学」と呼ぶより大規模な構想の中に回収され、統合され

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  • 日本のポストモダン教育学の原点? - shinichiroinaba's blog

    森直人のエントリに補足。 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略以下のようなものである; 「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるい歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。 これに対して「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性も、「社会学」という方法の堅固さも疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。 しかし第一に、そもそも「教育

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  • ベーシック・インカムの思想的核心? - shinichiroinaba's blog

    このように、福祉国家の下で、国家の意思が介在する形で行われる政策と、ベーシック・インカムのように無条件の給付によって行われる政策との大きな違いが現れるのは、働くことの自由をめぐる論点であろう。福祉国家(厳密には、ケインズ=ベヴァレッジ型福祉国家)の下では、労働不能者というスティグマを打たれることによってのみ、無拠出の扶助を受けることが可能になる。一方で、働くことができる場合には、「自立支援」あるいは「アクティベーション」という形で、市場経済の中での経済的自立が促されることとなる。この場合、個人の「働きたくない」自由(いいかえれば、労働の完全なる「脱商品化」)を尊重することはない。 (中略) その一方、ベーシック・インカムのような議論では、「働きたくない」自由を積極的に認める。いいかえれば、職業の貴賎を積極的に認め、やりたくない仕事はしない、という考え方を権利として認めるのである。私見では、

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    htktyo 2009/11/20
  • 広江礼威『Black Lagoon(9)』(小学館) - shinichiroinaba's blog

    BLACK LAGOON 9 (サンデーGXコミックス) 作者: 広江礼威出版社/メーカー: 小学館発売日: 2009/10/19メディア: コミック購入: 17人 クリック: 905回この商品を含むブログ (195件) を見る 「ロベルタ逆襲編」、かなりの悪戦苦闘だったが、新章へと伏線を引きつつ、そこそこきれいに終わらせた。もうこれでこのマンガ最高の人気キャラを再登場させられなくなったわけだが、「折り返し点」としてはちょうどいいところだろう。 以下に8巻が出たときの、いまはなき『Invitation』に寄稿したまんが評を再録する。 - 国際マフィアが割拠する現代の「リバタリア」(伝説の海賊自治国)たる架空都市ロアナプラを根城に、海賊まがいの運び屋の一員となった日人元商社マンの主人公「ロック」の冒険を描いて、血と硝煙と美少女の好きなオタクの絶大な支持を得ている作も、いよいよ佳境である。

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    htktyo 2009/10/19
  • 稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)あとがきに書き忘れた・書けなかったこと(承前) - shinichiroinaba's blog

    社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 売るため、読んでもらうための戦略について。 こちらも器用ではないため書けるもの、書きたいものを書くしかないのだが、それでもそれなりに売り込みの工夫は考えないでもなかった。 まず版元とレーベルについて。 なぜNHKブックスか。 伝のあるちくま、中公の両新書には、既に社会学入門書が存在しているので企画が通りにくい。ちくまの内田隆三のものははっきり言ってひとりよがりのダメな(「東大で俺様が社会学を学ぶ」とはよくいったもの)である一方、中公の富永健一のものはオーソドックスな良書であるが、どちらにせよかぶってしまう。内田であれば正直勝てる自信

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    htktyo 2009/06/13
  • 稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)あとがきに書き忘れた・書けなかったこと - shinichiroinaba's blog

    社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 何でこんなを書こうと思ったのか、書いているうちに忘れてしまっていたのだが、最近思い出した。 まず一つ。 このを書いたのは、何も1年生向け講義を受け持つ羽目になったからではない。むしろ逆だ。 うちの職場では、1年生向け社会学入門講義の担当自体は別に純然たる強制ではなく、いやだったら代わりに1年生向けの基礎演習をやれば済む話であり、ずっとそうしてきた。ただ、社会学科で専任として給料をもらっている人間が、社会学入門の講義を「やりたくない」ならともかく「できない」などというのは通るまい、とは思っていた。 そんな風に思っていたから、カリキュラ

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    htktyo 2009/06/13
  • 稲葉振一郎『理論社会学入門講義(仮)』6月刊行を目指して作業中につき - shinichiroinaba's blog

    さわりを公開します。 前回、19世紀末から20世紀初頭において成熟した「社会学」という学問は、一言でいえば「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」である、とまとめました。こういう発想による理論社会学のプロジェクトの頂点が、20世紀中葉のアメリカ合衆国の社会学者、タルコット・パーソンズです。社会を一定の価値観、規範を共有し、それを内面化した人々の集まりとして、そうした人々の行為のネットワーク――システムとして捉え、更にその変動メカニズムまでをモデル化した理論を作ろう――パーソンズはそのように考えて、壮大な理論モデルを試行錯誤して作り上げていきます。今日でもぼくたちはしばしば「社会システム」という言葉づかいに出会いますが、それはパーソンズによって広まったものである、と考えても構いません。 成熟期のパーソンズの理論は「構造機能主義」と形容されます。「機能主義」という言葉は今日で

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    htktyo 2009/02/05
  • 最近気になったものを抜書き - shinichiroinaba's blog

    不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 191回この商品を含むブログ (169件) を見る 『ゲーム的リアリズムの誕生』の中で、分析・解釈されているいくつものゲーム小説を通覧することから直観できることは、まずは次のことである。すなわち、オタクたちは、あるいはより広く(オタクたちを生み出した)現代社会は、終わることの困難に直面し、もがいているのではないかということ、これだ。ゲームや、ライトノベル、アニメの中で、「反復」という主題がやたらと反復されているのである。反復する時間の中に閉じ込められ、そこから抜け出すことができない、という主題が、作品横断的に、あまりにも頻繁に登場するのだ。ゲームにおいては、この反復を何とか切り抜け、真の終わりをもたらすことが、目標となる。(196頁) たぶん

  • 今日も平和な経済学村 - shinichiroinaba's blog

    ――としかぼくは思っていないんですが。 http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20081226/1230274589 よーわからんのですが、「辛辣な悪意」とか誰のこと? ぼく? 田中さん? arnさん? ドラエモン氏? 他の人のことは知らんですよ? ぼく個人は小島さんに「悪意」はないつもりですが。arnさんは相当辛辣だが、別に小島さんを個人攻撃したいんじゃないでしょう。田中秀臣さんだって、政策レベルで相当真面目に批判しているんであって、人身攻撃したいんじゃない。ドラエモン氏は小島さん個人についてあれこれ言ってるんじゃなくて、一般的雰囲気について慨嘆してるだけ。 無視するなら無視でいいんですよ。でも問題を「悪意」とかの方にすり替えるのはいかんでしょう。大体世の中「悪意」よりもっと恐ろしいのは「善意によるいじめ」だということはさておいて。(田由紀さんとのこ

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  • [メモ]小島先生…… - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20081220/1229764380 http://d.hatena.ne.jp/arn/20081221#p1 銅鑼衣紋 2008/12/21 18:05 言っては悪いが、想像力が欠如してるのよ、こういう人は。事件は会議室で起こっているわけではないという名文句(笑)があるが、まさにそれで、数学的に美しい体系を弄るのが経済学だと思いこんでいるものだから、現実に起きている、あるいは起きる可能性のある現象に対する想像力が全く欠如している。数学は人が自らの内面を探求する科学の一種であり、経験とは無関係でありうるが、実証科学の一部である経済学は、とにかく「ここにある現実」から出発しなければならない。もちろん、凄い現象は個人が生きている間に何度も起こらないのだから、過去に起こった事例を歴史に学ばなければならない。だが、理論な

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  • なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog

    東さんは煽った。常野さんは乗った。実際に乗られてみて東さんは「煽りが軽率だった」と反省して小役人的対応をとった。東さんの対応には手続き的なレベルではさしたる問題はないが、度量の狭さを批判されてもおかしくはない。 しかしこんなことをしたところで常野さんの名が上がるわけではないし、もちろんこんなことはどちらにとっても「いらん苦労」で「勉強」「芸の肥やし」にはならないことは明らか。 何より常野さんはまず最初にやるべきこと、つまり東さんの議論とデリダの議論を突き合わせてきちんと検討する、ということを自分でしていない。「卑怯」とはいわない。その呼びかけに応じてそれっぽいことをやってくれてる人が少しは出てきたからだ。しかしせっかくそういうものが出てきたのであるから、自分でデリダと東をきちんと読みこまないまでも、援軍の人たちの議論をきちんと咀嚼して、自分なりに何かまとまったことを言うべきであった。 常野

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  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - 必死……なのか?

    「財務官僚(自称)」を「財務官僚と巷で噂される」に謹んで訂正させて頂きます。 bewaad様、朝日新聞文化部その他関係各位、そして読者のみなさまに対し、深くお詫び申し上げます。 訂正は次回連載時にも再掲させて頂きます。 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060517/1147867120 何をそんなにムキになってるの? 何だか『反社会学』第2弾をけなされた時のマッツァンみたいだよ? 既に「勘違いも甚だしい」(http://d.hatena.ne.jp/bluesy-k/20060517/kantigai)てな突っ込みもありますが、これもネタなの? 「分裂勘違い君劇場」の趣旨はもちろん、よく理解されていますよ。「分裂」はあくまでもネタであり、「ネタですよ」とのお断り付きであることは、改めて言われるまでもなく、僕も承知しています。だからこそちゃん

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