三沢さんのご冥福を祈ります。試合編→sm7344429 検索ワード PRIDE DDT マッスル 新日本プロレス 串田アキラ
ニュース自体はどこでも見ることができるだろうから、引用することもないだろう。 プロレスラー・三沢光晴(敬称略させてもらう)が死去した。享年46歳。 私は昨日の夕方から、たまたまネットにつなげない環境でTVニュースも夜のものは見られず、訃報を遅れて聞くことになった。 多くのファンがブログや掲示板で死を悼んでいる。わたしも心定まらないながら、こうやって字をつづっている。 死を呼んだリング禍に関し、技の危険さや救急体制、本人のコンディション、あるいはプロレスそのものの危険性…その他についても今後さまざまな報道がなされるだろう。 ただ、一般論としていうなら、三沢の受け身のうまさと、それを可能にした練習とキャリアについては、誰も疑う余地がないものだった。 それでもなお、こういうことが起きうる。 脳の問題についてはそもそも、まだ分からないことも多く、三沢レベルの「完璧な受け身」というのも、長期的な影響
考えてみれば、床に強く頭をぶつけると盛り上がるジャンルというのもおかしな話である。 プロレスラーの三沢光晴が試合中に倒れ、そのまま死亡してしまった。 見せ物には、自分本位で成立するものと、観客本位で成立するものとがある。前者が例えばボクシング、後者の代表がプロレスだ。 プロレスには、相手にケガを負わせ、優位性を獲得するような価値観はない、むしろ自分がケガをすることによって喜んでいるような倒錯した世界、しかし、それがカラクリとなり、“仕組み”が成立しているのである。 それは世の中の道理とは全て真逆に構成された、あべこべな世界観なのであった。 反則はしてはいけない事なのでやるのである。 そんな高い所から飛び降りたら危ないよ、と言うから飛び降りるのだし、ケガをしないよう細心の注意をはらうのが普通だから、ケガをするぐらいの勢いでマットに落ちるのだ。 あべこべ、である。 どうしてそう
昨夜の記事を殴り書いた後、どうしても「スパルタンX」を聞く気になれなかった。しばらくは映画「スパルタンX」も観られまい。ジャッキーごめん。 マスクを脱いだばかりの三沢が一度だけ使用した入場テーマ曲「約束の橋」をyoutubeで繰り返し聴いた。 「今までの君は間違いじゃない」 そう、その通りだ。間違いじゃない。これは言っておく。これは事故だ。事故だった。 オレは今日も、深夜まで絶賛仕事中だ。そりゃもう今日は荒れた。ボケてて使えない手下に「なんで三沢が死んでお前が生きてんだよ、お前が死ね! 今死ね!」と怒鳴りつけるほどに荒れた。今は反省している。 プロレスラーは、観客のために闘う。こんなことを今更書くのも馬鹿げて恥ずかしいが、オレがガキの頃からプロレスラーを好きなのは、プロレスラーが観客のために闘うからだ。三沢は観客のために闘い続けてきた。それなのに日本のプロレス史上、いちばん観客を悲しませた
「一番死んではいけない人が死んでしまいました」とプロレス者のNさんからメールが届いた。「頭から落とすプロレスを始めた三沢さんが頭から落とされて死ぬなんて」。 その通りである。落としても割れないと思っていた皿が割れてしまった。誰の耳にも届かない小さな音を立てて。馬場の死は時代の終焉で、橋本の死は伝説の閉幕だった。三沢の死はシステムの崩壊なのかもしれない。 違うって。俺はそんな能書きを書きたいんじゃないんだ! ファンを置き去りにして、どこ行きの舟に乗っちゃったんだよ三沢! 空き室に困ったら誰に任せればいいんだ! 三沢〜
なんかもう、悲しいとか辛いとかご冥福をお祈りとかそういう心境には全くなれないというか、何かの冗談であろうとかしかいまだに思えないのだけど、ただものすごい喪失感だけがあるというか、まあなんだかんだいってノアは三沢さんがいれば大丈夫と思ってたのにその三沢さんがいなくなるとかやっぱり何かの冗談としか思えない。それも試合で亡くなるとか全くわけがわからない。だってあの三沢ですよ。タクシーをドロップキックで止めようとしたらタクシー飛び越してしまったという超人の三沢がですよ。いや全然理解出来ない。なんか橋本が死んだときの気持ちとは全然違う。なんかもう俺プロレス見られないかもしれない。だって今まで四天王プロレスとか見てて死んじゃう死んじゃう思ってたけど、それは死なないからそう思って見ていられたわけで、プロレスラーも死ぬと思ったら見られねえよもう。根性ないかもしれないけど、だって三沢が死ぬんだよ。あの三沢が
当時、自分の地元で【真面目で一切笑わないことで有名な】川田利明さんが、選手初の(?)トークショーを全日プロレス興行前にするってことで、何時間も前から並んで見てました。 「お、笑った!笑った!」とかいいながら楽しく観賞。まあ、その頃なんで”ガチガチキャラ”でトーク自体も固いままだったような。 トークは進むが「なんか話がつまらんぞ(失礼!)」ってことで、会場を見渡したりしていたんですね。 そしたら、後ろの扉がほんの少しだけ開いて、なんか「緑色のコスチュームをした人」が覗いていたんですよ。 「あ!わーい!」って感じで手を振ったりしてたら、ほんの少し開いた扉がさらに半分になって隠れたり。 で、トーク中に再度振り向いて扉がまた開いて「緑色の人」が見えたんで、また手を振って扉が閉まったり。 気付いていたのは(多分)最後列左端の自分一人で、そんなやり取りをトーク中に何度も何度もやってました。 こうして書
週プロモバイルを見れば、2009年6月13日、NOAH、広島県立総合体育館小アリーナ興行の試合結果速報にはこう書かれている。 GHCタッグ選手権試合(60分一本勝負) <王者組>B・スミス&○齋藤彰俊(27分3秒、TKO勝ち)三沢光晴●&潮崎豪<挑戦者組> ※レフェリーストップ。第17代王者組が3度目の防衛に成功 こんな当たり前のような試合結果を見て、実はこの試合で三沢が死んだんだよ、って言われて、そんな実感のない話もそうそうないだろう。メインで、ベルトのかかった試合で、ファンの前で死んでいくなんて、プロレスラーの人生としてあまりにも出来すぎている。しかもその主人公がよりにもよって三沢光晴だなんて、プロレスの神様はどんだけ分かりやすいブックを書くんだって話だ。 会場からは、動かなくなった三沢に対して、ミサワコールが送られたそうだ。たぶん全員が全員、死ぬ気で声をからしたんだと思う。そして全員
レフェリーのテッド・タナベ(田邉哲夫)は2009年6月15日午後12時23分に搬送先の病院にて永眠されました。享年46歳。 永きに渡り、プロレス界の裏側を支え、多大なる貢献をされたことを偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。 なお、この件に関しての詳細は判り次第追って報告させて頂きます。 また、当ブログ、阪上雄司ブログにて一部表記に誤りがありましたことを深くお詫び申し上げます。 大阪プロレス株式会社 代表取締役会長 阪上雄司
キン肉マン29周年記念『ファンが選んだベストバウト』 第5位 ※佐藤大輔 制作
13日の試合中に頭を強打し、46歳で亡くなった人気プロレスラー三沢光晴さんが所属したプロレス団体「ノア」の興行が14日、福岡市の博多スターレーンで予定通り行われ、ファンが早すぎる死を悼んだ。 満員の会場では第1試合の前に追悼のゴングが鳴らされ、三沢さんの入場曲とともに観客は一斉に「ミサワ」コールを送った。福岡県遠賀町から訪れた鹿野利恵さん(39)は会場に設けられた献花台に花を手向け「三沢さんの試合を楽しみにしていたのに。三沢さんがいたからプロレスを好きになった」と大粒の涙を流して合掌した。 三沢さん最後の試合で対戦相手の一人だった斎藤彰俊選手(43)はこの日の試合後、リングサイドに飾られた遺影に向かって土下座。「(三沢)社長はまだまだやりたいことがあったのに。おれがあんなことをしちゃって。どんな重い十字架でも背負う」と涙ながらに話した。観衆の「ミサワコール」空しく…マットで壮絶死三沢光晴さ
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