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ブックマーク / politas.jp (4)

  • 沖縄から貧困がなくならない、本当の、本当の理由(樋口耕太郎)|ポリタス 『沖縄県知事選2018』から考える

    アンパンとメロンパン 沖縄知事選挙を控えて、命題を提起しようと思う。 民意と選挙は似て非なる概念である。 民意と選挙は似て非なる概念である。 消費者がおにぎりをべたいと思って買い物に出かけても、店頭にアンパンとメロンパンしかなければ、どちらかを買う以外に空腹を満たす方法はない。どちらかを選んだからといって、それが消費者の望み(民意)だとは言えない。 沖縄では、2010年の知事選挙でアンパンが選ばれた。知事はアンパンが沖縄の民意だとして県内経済をアンパンで埋め尽くした。 Photo by 岩室佳 2014年の知事選挙では、一転してメロンパンが選ばれた。メロンパンを主張した知事はそれからほぼ4年間、メロンパン対策に県政の大半の資源を投下した。 Photo by 岩室佳 沖縄選挙区の特徴であり問題点は、常に「経済発展」か「基地撤去」か、という二者択一に論点が矮小化されてしまうことだ。選挙の

    沖縄から貧困がなくならない、本当の、本当の理由(樋口耕太郎)|ポリタス 『沖縄県知事選2018』から考える
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    hyolee2 2018/09/28
  • 日本社会が「ウソの氾濫」を許すか否かを問う選挙(山崎雅弘)|ポリタス 衆院選2017――それでも選ぶとしたら

    前回の第47回衆議院議員総選挙は、今から3年前の2014年12月14日に投開票が行われました。その投票日直前の12月9日に、私がポリタスに寄稿した「首相が『どの論点を避けているか』にも目を向けてみる」という記事が公開されました。 そこでは、メディアが争点として報じた個別の政策問題ではなく、2012年12月にスタートした第二次安倍政権の全体的な方向性や、第二次安倍政権の発足から当時までの2年間で生じたさまざまな社会的変化、安倍首相の言動(意図的に言及しないという態度も含む)から浮かび上がる一貫した政治理念などを指摘した上で、「国民が選挙という手段によって方向性やスピードを修正しないなら、今後も同じ方向性で政治と社会の変化が進む可能性が高い」と指摘しました。 3年前の衆院選は、事前にメディア各社が予想した通り、与党である自民党と公明党の大勝という結果に終わりました。その一方で、選挙の投票率は5

    日本社会が「ウソの氾濫」を許すか否かを問う選挙(山崎雅弘)|ポリタス 衆院選2017――それでも選ぶとしたら
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    hyolee2 2017/10/21
    モリカケゲートを許すかどうかも。
  • なぜ日本人の多くが自民党を選ぶのか(福田充)|ポリタス 衆院選2017――それでも選ぶとしたら

    安全保障が争点の珍しい選挙 安倍晋三首相が衆院解散会見で発表した名称は「国難突破解散」であったが、このキャッチコピーには、山積する国難に対して一気にブレイクスルーをもたらすための権力を安倍政権に集約させてほしいという願望が含意されている。 来であれば、小選挙区制をとる現在の衆議院選挙は、常に政権選択選挙の様相を持つ。その安倍政権の呼びかけに対して賛成するか、反対するかが問われる選挙だといえる。 北朝鮮ミサイル危機などの安全保障・外交問題、少子高齢化問題、生産性向上など働き方改革、教育政策、憲法改正など多様な争点が選挙で問われることになるが、今回の選挙の特徴は、各種メディアの世論調査でも明らかなように、北朝鮮ミサイル危機など安全保障・外交問題が選挙の主要争点となった、55年体制崩壊以後、珍しい選挙だということである。 Photo by yoppy (CC BY 2.0) 第2次安倍政権の特

    なぜ日本人の多くが自民党を選ぶのか(福田充)|ポリタス 衆院選2017――それでも選ぶとしたら
    hyolee2
    hyolee2 2017/10/20
    安全保障が争点の珍しい選挙。←2017年大統領選挙でこれをやって敗北した自由韓国党。スローガンが「守ります!自由大韓民国」という爆笑ものであった。もちろん朴槿恵の不正には言及なし。
  • 認識は常識から——最低限、母国語が通じる日本であってほしい(三浦俊彦)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    国家や民族の質はやはり言語でしょうね。たとえば日国に属して日文化を誇りに思うためには、日語が正しく機能していなければなりません。ところが、簡単な単語が組み合わさっただけで日語が俄然怪しく見えてきて、「俺は日を愛せるのか、愛するどころか恥ずべきではないのか」と自信が揺らいでくるのだから厄介です。 最近は「歴史認識」という言葉ですかね。「国や民族ごとに解釈の違いがあって当然」「正解は立場次第」みたいな一種ものわかりの良さが漂う言葉……。だいぶ前のことですみませんが、昭和天皇が「そういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」と宣ったシーンが思い起こされます。 あの頃はともかくとして昨今「歴史認識」と呼ばれる争点(?)のいくつかは、「認識」などと言い立てるまでもない「常識」でしょう。辞書を見ればすむレベル。難しそうな装いに値しないナマの事実。 たとえばアジア・太平洋戦争

    認識は常識から——最低限、母国語が通じる日本であってほしい(三浦俊彦)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    hyolee2
    hyolee2 2015/10/18
    国家や民族の本質はやはり言語でしょうね。たとえば日本国に属して日本文化を誇りに思うためには、日本語が正しく機能していなければなりません。←国家と言語・民族は必ずしも一致しないので注意。
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