【読売新聞】 【ヨハネスブルク=深沢亮爾、エルサレム=工藤彩香】南アフリカの国立伝染病研究所などは25日、新型コロナウイルスの新たな変異株が検出されたと発表した。変異を繰り返し、感染力が従来の変異株より強くなった可能性があるという。
【読売新聞】 【ヨハネスブルク=深沢亮爾、エルサレム=工藤彩香】南アフリカの国立伝染病研究所などは25日、新型コロナウイルスの新たな変異株が検出されたと発表した。変異を繰り返し、感染力が従来の変異株より強くなった可能性があるという。
「050」で始まる番号を悪用した手口のニセ電話詐欺の被害が急増していることが、捜査関係者への取材で分かった。050番号は、法的な本人確認義務がないため詐欺グループが身元を隠して入手しているとみられる。捜査関係者は「クレジットカード情報があればインターネットで契約できる通信会社もあり、偽造カードでも契約されている」と実態を明かし、警戒を強めている。(井上真典) 050は2002年ごろ、インターネットなどを使ったIP電話に対する番号として導入された。使用端末に制限がないのが特徴。数百円の基本料金と安価な通話料金で、パソコンやスマートフォンにアプリをインストールすれば、SIMカードがなくても利用できる。法人を中心に普及し、今年3月末で902万番号が使われている。 警察庁によると、昨年1年間に把握したニセ電話詐欺の番号のうち、050番号は18%(2077件)だったが、今年上半期(1~6月)のまとめ
プロサッカー選手として36年目。神戸では33歳から38歳の4年半を過ごした。三浦知良、54歳。弱肉強食、世代交代が当たり前の世界で、元日本代表FWは今なお愚直にボールを追う。かつてコラムを連載していた神戸新聞の紙齢4万4444号到達に際し、インタビューに応じてくれたので聞いてみた。「カズ」であり続ける意味って何ですか。(小川康介) 「僕の職業ですからね、サッカーは。続けられる限り続けたいし、理由なんかないですよ、正直言って。情熱が持てなければピッチに立つべきじゃない。情熱がある限りはグラウンドに立っていいと思っていますから。元サッカー選手にならないようにずっと頑張りたい。練習も、練習試合も、本番も、ピッチに立っただけで幸せですよ。一つでも自分が思い描いていたようなプレーができたら、それが幸せですよ。それを一つでも増やしていけたらなぁ。情熱に陰り? ないですね。ますます毎日『全力少年』って感
南アフリカ・ヨハネスブルクの病院の新型コロナウイルス病棟で、防護服を着用する看護師(2021年3月2日撮影、資料写真)。(c)Guillem Sartorio / AFP 【11月26日 AFP】南アフリカで、新型コロナウイルスの新たな変異株が検出されたと、専門家や保健当局が25日、発表した。同国における感染者急増の要因になっているとみられている。 ウイルス学者のトゥーリオ・デオリベイラ(Tulio de Oliveira)氏は記者会見を開き、「B.1.1.529」と呼ばれる新たな変異株について「非常に多くの変異」が認められるとし、ボツワナや香港でも、南アからの渡航者から検出されたと語った。 ジョー・ファーラ(Joe Phaahla)南ア保健相は、新変異株は「深刻な懸念」をもたらしており、感染者数が「指数関数的に」増加している要因になっていると指摘した。 南アフリカの1日当たりの感染者数は
【北京=三塚聖平】中国外務省の趙立堅(ちょう・りつけん)報道官は25日の記者会見で、北京冬季五輪に関連し、「中国は既に、日本の東京五輪開催を全力で支持した。日本は基本的な信義を持つべきだ」と述べた。日本側で、中国の人権問題を理由に北京五輪に首脳や政府使節団を送らない「外交的ボイコット」を求める声が出ていることを牽制(けんせい)し、開催への支持を求めた形だ。 趙氏は「中日双方には、五輪開催を相互に支持することに関して重要な共通認識がある」と主張。中国側は、今夏の東京五輪開催前から「五輪開催の成功を相互に支持することは、中日両国の指導者が達した重要な共通認識だ」などと強調し、日本の五輪開催に支援姿勢を示していた。 趙氏は、オーストラリア政府が「外交的ボイコット」を検討しているという現地報道に対し「各国のスポーツ選手の利益を害するだけだ」と述べた上で「思い通りにはならないだろう」と反発した。 日
地元民への〝至極まっとうな反論〟 少ない火葬場の待機期間を支える役割 「亡くなった人」を歓迎しない世界 もし、自分の家の隣に「遺体ホテル」が作られると聞いたらどうしますか? 各地で起きる反対運動の根底には何があるのか。評論家で著述家の真鍋厚さんは、死体を嫌がることは「究極の自己否定」だと説きます。日常から見えなくなった死体の存在。そんな中で進むいびつな多様性の実態について、真鍋さんにつづってもらいました。 地元民への〝至極まっとうな反論〟 死体、遺体、亡骸(なきがら)……様々な言葉によって表される「亡くなった人」たち。わたしたちと同様、身体はあるが、生きてはいない。具体的には、呼吸がなく、心臓が動いておらず、瞳孔が光に反応しない状態を指す。 医師が判定するまでは「死亡」とはならないが、便宜上はそれが「亡くなった」ことを物語る。言うまでもなくわたしたちも遅かれ早かれそこへ仲間入りを果たすこと
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