はじめに 本サイトでは旧満州地域の陸軍慰安所に対象を絞って資料を紹介している。中国大陸、南方戦線の慰安所及び海軍の慰安所については、ここでは対象としていない。旧満州以外の慰安所の話題は、ブログの方に記しているので、そちらの参照をお願いしたい。 旧満州(中国の東北地方)地域に関しては、元兵士、元「慰安婦」女性による慰安所の体験談が、数多く残されているにも関わらず、慰安所の設置経緯が明確ではなかった。例えば、昭和17年(1942年)9月3日の陸軍省恩賞課長の報告、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支100ヶ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所」の中に、旧満州地域がすっぽりと抜けている(慰安所と慰安婦の数/アジア女性基金)。 だが、元兵士や被害者女性の証言を集めてみると、慰安所が旧満州の至る所に存在したことが明白に分かる。東寧の慰安所など、一千人規模と言う
川越市の会社社長で日中戦争に従軍した元日本軍兵士の村瀬守保さんが、戦地で撮影した写真のパネル展「村瀬守保写真展―平和をねがう一兵士が残したもの―」が11日から、川越市郭町の市立美術館市民ギャラリーで開かれる。 日本軍の爆撃で破壊された建物。中国軍兵士らの遺体。日本兵におびえる中国の老人と子ども。日本軍は中国で何をしてきたのか。従軍兵士でなくては撮影できない貴重な写真が展示される。 村瀬さんの遺族が保存していたネガの提供を受けた川越市民らが多くの人たちに見てもらい、平和について考える機会を提供しようと、写真展の実行委員会(木下専次郎会長)を結成して企画した。同展は23日まで。入場無料。 実行委によると、村瀬さんは1909(明治42)年、東京都文京区生まれ。盧溝橋事件が勃発した37(昭和12)年に召集され、40(同15)年までの約2年半、満州など中国各地を転戦。この間、中隊の仲間をはじめ戦地の
日中戦争真っ只中の70年前、南京陥落時に起きた南京大虐殺。様々な論議を生み、虐殺の人数さえ両国の間で大きな開きがある。その事件について、20年間身を削るような調査を続けてきた人がいる。彼が探り当てたのは、兵士が最前線で綴った「陣中日記」。そこには日本軍が中国人捕虜一万数千人から二万人を一挙に虐殺したことが記されていた。また日記からは、勤勉に田畑を耕し家族を愛し、生きるのに懸命だった農民が、突然戦場という異常な世界に放り込まれ、殺戮者に変貌していく姿が浮かび上がる。陣中日記をもとに虐殺の軌跡を追う。 南京で何があったのか。1万数千にのぼる捕虜の「処理」に直接かかわった兵士たちが書きつづった日記には、どんな事実が記されていたか―1軒、また1軒と旧日本兵とその遺族を訪ね歩く粘り強い探索によって発掘された資料から、歴史の実像がここによみがえる。 参考:Amazon.co.jp: 南京大虐殺を記録し
結果として、今、私たちが目にする「官憲が」「人さらいのごとく」連行したことを示す公文書は、戦後の東京裁判やBC級裁判でこれらの犯罪が問われた記録や「慰安婦」裁判の判決である。植民地にされていた朝鮮半島での犯罪は、戦犯裁判の対象にはならなかった。しかし、1990年代に韓国の「慰安婦」被害者が提訴した3件の「慰安婦」裁判では、全てが事実認定されている。 日本政府・軍は、敗戦前後に文書を組織的に焼却したが、それでも「慰安婦」制度に関する日本軍・政府の関与を示す公文書は、河野談話(1993年)までに300点以上が公表された。一方、その後も研究者など民間の手によって重要な文書が発見されており、この20年余りに国内外の公文書館等で発見された資料は500点以上を数える。この中には戦後に実施された法務省による元戦犯への聞き取りで、200人にのぼる「慰安婦」を集めたことが罪に問われることを恐れた兵士が、日本
「基準引き下げで生存権侵害」生活保護の減額処分取り消し、賠償請求は棄却 鹿児島地裁「厚労相の判断 裁量逸脱や濫用」
[パリ五輪・新潟県関係選手紹介]フェンシング・古俣聖(26歳・本間組・新潟市西区出身)物心付いたときからフェンシング一筋、競技発祥の地でメダルへ狙い定める
普通の刀の刃と峰が逆になった小刀が千葉県白井市内の旧家から発見された。日本刀の製法に合っていないとして刀剣登録はできなかったが、寄贈を受けた市教委は「刀としては類例がない資料だ」とみており、市の文化財に指定する考えだ。 この刀は昨年10月、江戸時代に名主を務めた川上家の蔵から見つかった。全長約28センチで刃渡り約22センチ。刀身はさび、刃文は見えないが、通常の峰の部分が刃に、刃の部分が峰になっているのが最大の特徴だ。鞘(さや)も先端が広がり、竜を彫った金属をかぶせるなど通常の日本刀とは違う造りだ。 印西署を通して県教委で審査を受けた結果、柄に差し込まれた茎(なかご)が短いなどの点から日本刀の製法から外れるとして、美術刀の登録はできなかった。 だが、同家は江戸幕府が設置した馬の放牧場の小金牧を管理する牧士(もくし)も務め、名字帯刀を許されたことから、市教委は今回の小刀も牧士に関する資料とみて
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「中韓、反日捏造の嵐!」 「朴大統領、日韓首脳会談に否定的」 「韓国が不法占拠」 「中国海軍、尖閣領域に不法侵入!」 「いやーそれにしても関係が悪化しとるな・・・・・・。あの数年前の熱烈な友好ムードはほんま、何やったんや・・・・・・」。 私がまた歴史問題を書くかと思ったら最後のほうは当たり障りのないメディア論なので「東洋経済オンライン」編集部の皆さんは安心してほしいのだが、その理由はひとえに政治ネタと歴史ネタは人気がなく、そのミックスである歴史・政治ネタは東洋経済ではまったくもって人気がなく、私のコラムが存続の危機に立たされるくらいアクセスがガタっと落ちるということである。ちなみにアクセス数が増えに増えるのは、ダウンタウンやらももクロやらの芸能ネタおよび、中国脅威論ネタやキャリア相談ネタの人気が高い。 やはり私は芸能コラムニストとして転身したほうがいいのかしら、と思ってほかのサイトを見てみ
旧宮内省が機密書類の焼却を指示した1945年8月18日付文書。22日までに焼くよう指示している 【佐藤純】敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を省内に指示した文書が、宮内庁の宮内公文書館に残っていた。朝日新聞記者が閲覧して見つけ、承諾を得て撮影した。陸海軍が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られているが、政府機関の中枢が焼却を指示した公文書が見つかるのは極めて珍しい。 1945年8月18日付の「機密書類ノ焼却ノ件」と題する文書で、宮内省の大臣官房から省内の各部局長あてに出された。「侍従職 昭和二十年重要雑録」という簿冊にとじられていた。 各部局が保管する文書類や、陸海軍などから同省に送られてきた文書類のうち、「機密ニ属シ破棄相当ト認ムベキモノ」を「原簿ト共ニ之ノ際全部焼却スルコト」と指示し、8月18〜22日の午前9時〜午後3時に「宮城内 三重櫓(やぐら)下(自動車課前
It apologizes because of a dirty grammar. It is an image to tell the threat of the atomic bomb dropped to Hiroshima in World War II. I am not because it starts making the United States a twicer and I delivered this animation. Because there is a reason why the atomic bomb is dropped also for Japan. It is not in peace or such an outrageous thing, and as the ideal, ordinary ..what.. daily life
足尾銅山 写真データベース データベースの使い方など 検索 写真名 撮影時期 撮影場所 説明 フリーワード
レンヤ・ムタグチ(れんや むたぐち、Renya Mutaguchi、漢字表記:牟田口 廉也〈むたぐち れんや〉、1888年10月7日 - 1966年8月2日)とは、大東亜戦争において連合国の勝利に大きく貢献したイギリス陸軍の指揮官である。インパール作戦で大きな戦果を上げ有名になった。 人物[編集] Saga Prefecture出身、最終階級は陸軍中将。盧溝橋事件をきっかけとした日中戦争を日本陸軍が暴走して勝手におっぱじめたように見せかける偽装工作を行い、ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部にかけてのジャングルで日本陸軍3個師団とインド国民軍をほぼ全滅させるというインパール作戦を指揮した連合国の名将で、史上最悪最凶強の工作員、コメディアンである。その数々の諜報作戦における謀略のあまりの巧みさと、偽装工作での類を観ないような強さに、日本兵から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。ちなみ
■編集元:ニュース速報板より「日本軍強すぎw 南京での犠牲者が新たに1万人追加される」 1 名無しさん@涙目です。(catv?) :2011/05/02(月) 12:55:36.12 ID:vHcE9iC20● ?2BP “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 「侵華日軍南京大屠殺史研究会(中国侵略日本軍南京大虐殺史研究会)」の張伯興前会長は、在任期間中の会の研究活動をまとめた報告書には、あらたに1万人の犠牲者名が追加されたことを明らかにした。中国新聞社が報じた。 張前会長は、資料数万件を調べた結果、新たな犠牲者を追加することになったと主張した。 同研究会はこれまでに「南京大屠殺史料集」55巻と「南京大屠殺史研究と文献集」27巻を刊行したが、近い将来に関連書籍17巻を新たに出版するという。 同研究会は、若い研究者に資金を提供して、新たな論文制作などを支援してきた。
枝野幸男行政刷新相は27日、松江市で講演し、「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」と述べた。日本の植民地支配を正当化したとも受け取られかねない発言だ。 枝野氏は昨年9月の政権交代の意義を述べるなかで、「世の中が変わったから政治が変わらざるを得なかった」ことの事例として明治維新を引き合いに出した。 そのうえで、「ペリーが来て『国を開け。日本が油断したら植民地にするぞ』と。日本は明治維新が早くできたからその後の100年くらいのなかで一定の優位性を保つことができた。同じ環境に中国や朝鮮半島もあった。日本の明治維新をみながら近代化しようと頑張った若い方がいたが、結局、進まなかった」と述べ、「日本が明治維新できていなければ日本も中国や朝鮮半島と同じように、
ロッキード事件をめぐり「MOMIKESU」との要請が記載された米政府の公文書=米ミシガン州のフォード大統領図書館 ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。 この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。 ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露され
東京都新宿区戸山の旧日本陸軍軍医学校跡地で1989年に大量の人骨が見つかった問題で、厚生労働省は発掘調査を行う方針を固め、新年度予算に調査費を盛り込んだ。 見つかった人骨は少なくとも約35体分あるが、身元や埋められた詳しい経緯はナゾとされてきた。しかし、近くの別の場所にも埋めたという新証言が出てくるなど状況が変わったため、同省は初めて発掘に乗り出すことにした。 跡地周辺には戦時中、軍医学校の関連施設が集中。89年7月、国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の建設工事中に頭蓋(ずがい)骨などが見つかった。軍医学校には、細菌戦の研究で人体実験を行ったとされる731部隊(関東軍防疫給水部)の上部機関である防疫研究室があったため、市民団体が「人体実験の被害者の可能性がある」と行政に調査を要求。専門家の鑑定でドリルやノコギリで加工された跡も見つかったが、厚労省は2001年、「軍医学校の人体標本の一
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