歌川広重画 『金澤八景 小泉夜雨』 金沢八景(かなざわ はっけい、古称:かなさわ はっけい)は、日本の武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦荘村と金沢村(現・神奈川県横浜市金沢区)にかつて見られた優れた風景から、「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価の一つ。現在では金沢八景駅周辺を指す通称地名になっている。 一帯は風光明媚な入り江が続く景勝地であったが、まず嘉永年間に内川入江の景観が干拓によって失われ、明治末年からの飛行場建設や1960年代以降の都市開発の余波を受けて湾岸が軒並み埋め立てられたため、往事の面影を偲ぶことは難しくなっている[1]。 歴史[編集] 金沢の風景の美しさは鎌倉時代から認識されていたが、特に鎌倉後期以降に鎌倉五山の禅僧によって杭州西湖と金沢の風景の類似が指摘された。江戸時代に入り、もと後北条氏の家臣であった三浦浄心が『名所和歌物語』[2](1641年-1644年頃刊)の