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内田樹に関するijustiHのブックマーク (39)

  • 学院標語と結婚の条件 - 内田樹の研究室

    新学期が始まる。 6日に入学式。 飯新学長の「ことば」を聞く。 学長就任の挨拶でもそうだったけれど、学が「キリスト教のミッションを実現するために建学された」という基理念をつよく訴える内容であった。 この時代に大学新入生に向かって「自己利益をどうやって増大させるか」については一言も触れず、「神と隣人を愛し、敬し、仕える」ことを、ほとんどそれだけを説いたスピーチを行うということは、「反時代的」だととる人もいるかもしれない。 でも、私はそう思わない。 これはすぐれて「今日的な」メッセージだと思う。 私たちの社会がこの 20 年で失ったのは「隣人と共生する能力」と「私の理解も共感も絶した超越的境位についての畏敬と想像力」である。 「愛神愛隣」というのは、そのことだと私は理解している。 学長は「学風」「校風」ということにスピーチの中で何度か言及した。 それは具体的な教育プログラムのことではないし

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    ijustiH 2009/04/17
    自分の心身の感度をどこまで敏感にしてもよい/だれとでも友だちになれる
  • 村上春樹氏の朝ご飯 (内田樹の研究室)

    青山さんから「村上春樹の朝ご飯」についてエッセイを書いて、という仕事が回ってくる。 雑誌の編集者さんというのはいろいろなことを思いつくものである。 「ご飯」というのは人類学的にはたいへん重要なものであるということは先般より繰り返し申し上げている。 とくに身体的「同期」(シンクロニシティ)がたいせつなのである。 誰かとご飯をべるということは、他者と身体的に同期するためのもっとも実効性のある方法の一つである。 音楽の演奏も、ダンスも、セックスもその点では変わらない。 私たちが「快楽」として選択するものはすべて「同期」というファクターを含んでいる。 スティーヴン・ストロガッツの『SYNC−なぜ自然はシンクロしたがるのか』によると、「ものごとを同期に向かわせる傾向は、原子から動物、あるいは人類から惑星にいたる広大な宇宙で、最も広範に見られる『動因』の一つである」。 長期的に同室にいる女性の友だち

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    ijustiH 2009/04/07
    教養とは→/情報の被制性やイデオロギー性についてのリテラシー
  • ノーベル文学賞の日 - 内田樹の研究室

    今日はいよいよノーベル文学賞の発表である。 村上春樹氏ははたして今年ノーベル文学賞を受賞するであろうか。 物理学賞、化学賞と立て続けに日人受賞者が輩出しているので、今年は「日イヤー」になるかも知れない。 というわけで、新聞社から「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を求められる。 今回は S 新聞、K 新聞、Y 新聞の3紙から求められた。 S 新聞には過去2回書いているので「三度目の正直」。 私のような門外漢に依頼がくるのは、批評家たちの多くがこの件についてのコメントをいやがるからである。 加藤典洋さんのように、これまで村上文学の世界性について長期的に考えてきた批評家以外は、村上春樹を組織的に無視してきたことの説明が立たないから、書きようがないのである。 だが、説明がつかないから黙っているというのでは批評家の筋目が通るまい。 批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられ

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    ijustiH 2009/04/07
    死者からのメッセージをただしく受信することこそが人間の本務であるという信念
  • 村上春樹と橋本治 - 内田樹の研究室

    の批評家は村上春樹を評価していないと書いたら、以前『B學界』の編集長だったO川さんからメールを頂いて、村上春樹を評価している批評家はたくさんいますよと名前を教えていただいた。 「三浦雅士、清水良典、石原千秋、川村湊、藤井省三、鈴村和成、風丸良彦、荒川洋治、川三郎(特に初期において、現在は批判的)、柴田元幸、沼野充義、和田忠彦、芳川泰久氏、ほかに若い批評家、学者は無数」ということだそうですので、先日のブログのコメントは訂正させていただきます。 蓮實重彦以下ごく少数のケルンが執拗に村上評価を拒否しているらしい。 そうか、彼らは孤立無援の少数派だったのか。 私はどのような論件であれ、絶対的少数派でありながら自説を枉げない人には無条件の敬意を抱く傾向にある。 こうなったら蓮實重彦さんたちにはぜひがんばって孤塁を死守していただきたいと思う。 でも、私が日の批評家たちを(少数の例外を除いて)あ

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    ijustiH 2009/04/07
    広告批評/2008/10
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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    ijustiH 2009/04/07
    人間が「何か」をうまく表象できない場合、その不能のあり方にはしばしば普遍性がある
  • かっちゃん - 内田樹の研究室

    隔週で短いエッセイを連載をしているので、『AERA』が毎週送られてくる。 寝転がって今週号をぱらぱら読んでいたら、なかほどのグラビアに「特別企画21世紀大学」というタイアップ記事があって、そこに昭和大学が取り上げられていた。 あら・・・と思って、半身を起こして頁に目をこらしたら、小口勝司理事長が笑ってこちらを向いていた。 「かっちゃん」は日比谷高校の一年生のときの級友である。 ぼくは大田区のはずれのカントリーフレイバーな中学から日比谷高校に入って、がちがちに緊張していて、一年生のときから勉強ばかりしていた。 「かっちゃん」は神田明神の境内に住んでいる江戸っ子で、ぱりっとしたシティボーイだった。 ぼくはなんとなく敬して遠ざけ、前期の半年の間、たぶん一度も口をきいたことがなかった。 後期になってぼくは生徒議会の議員というものに選出され、その集まりが昼休みにあり、午後の授業に数分遅刻して教室に入

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    ijustiH 2008/11/14
    かっちゃんは「おしまいがあるから楽しいんだよ」とちょっと悲しそうな眼をした。「さあ、おとなになろうぜ」/人生ごっこ遊び、さっきもみたなsee/past you again
  • 悲しい知らせ - 内田樹の研究室

    悲しい知らせがある。 私にとって悲しい知らせであるばかりか、私と遊びたがっている友人のみなさんにとっても、私に仕事をさせたがっている編集者のみなさんにとっても悲しい知らせである。 昨日、「恐怖の役職者選挙」があり、その結果、私は入試部長に選ばれてしまったのである。 入試部長というのは入試事務全体を統括する仕事である。 入試に関する全業務(はんぱな量じゃないんだよ)に直接、具体的にコミットしなければならない。 ましてや現在は「大学淘汰」の戦国時代である。 実働時間も拘束時間もこれまでより増えることはあっても減ることはない。 どうやら大学を退職する日まで、老骨に鞭打ってフルタイムで働くことを余儀なくされそうである。 というわけで、今日より退職の日まで、これまで約束したものを除いて、執筆、講演その他もろもろのお仕事はすべてお断りしなければならない。 これまでも何度も「断筆宣言」をしているので、私

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    ijustiH 2008/11/03
    心身の疲労を「気の張り」だけで保たせてきた場合、「張り」が抜けたとたんに、無理にためこんでいた疲労が雪崩のように押し寄せる
  • 知識についての知識について - 内田樹の研究室

    毎日新聞の次は『新潮45』。 総合雑誌の廃刊休刊相次ぐ中で苦戦中の『新潮45』も12月号からリニューアルするそうである。 野木正英さんが編集部に参加する。 野木さんは旧友故・竹信悦夫と高橋源一郎さんと灘の同期である。 このトライアングルがどんな過激で愉快な中学高校時代を過ごしていたのかについては源ちゃんと私の対談(『ワインコイン悦楽堂』)に詳しい。 そういうご縁があるので、竹信への供養もかねて、リニューアル『新潮45』に一臂の力を仮すことにしたのである。 野木さん、編集長の宮さん、三重さん、そしていつもの足立さんが御影においでになる。 インタビューのお題は「呪いのコミュニケーション」。 話頭は転々で何を話したのかよく覚えていないのだけれど、その中で「知識がある」ということが今ほど無意味になった時代はないということを話した。 20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつ

  • 『秋日和』と『すーちゃん』 - 内田樹の研究室

    5時半に目が覚めてしまった。 8時くらいまで寝ていたいのだが、寝付けない。しかたがないので、起き出して『日の論点』の「非婚」についての原稿に手を入れる。 これはブザンソンで原型を書いたのだが、「結婚したくない人」と「結婚したいけれど、機会に恵まれない人」を同じ「非婚」というカテゴリーにくくって論じるのは、やっぱり無理があるよな、と昨日の夜、『秋日和』を見たあとにベッドの中で、益田ミリの『すーちゃん』を読んでいて感じたのである。 『秋日和』は1960年の映画で、例のごとく「なかなか結婚しない娘(司葉子)を結婚させる」ために佐分利信、中村伸郎、北竜二の三人のおじさんたちが暗躍するという話である。 あまりに面白くて、何度も笑い出してしまった。 バーのカウンターでパイプで鼻翼をこすりながら「急いじゃいかん」という場面とか、「じゃあ、リンゴも俺がったことになってるんですね」とか、佐分利信があの「

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    ijustiH 2008/09/23
    「いつまでも、若く、自由で、イノセントでいたい」/自分はこれが怖いんだけどな
  • アメリカの夢 - 内田樹の研究室

    リーマンブラザースが破綻した。 こういうときは「平川くんはこの事態をどうとらえているだろう」と思うので、さっそく彼のブログを読む。 http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200809160000/ なるほど、そのような理解でよろしいわけですね。 そうか。 私はアイボリー・タワー(最近わりと娑婆臭くなってはきたが)の人間なので、リーマンとかメリルリンチとかAIGというのが「なんぼのもん」なのか実感としてはさっぱりわからない。 つい二週間ほど前のある雑誌(気の毒なので名を秘す)がこの外資系金融機関で働く女性たちを特集していた。 先端的ビジネスで、複雑怪奇な金融商品を捌いて、年収数千万円というようなサクセスフルな女性のアクティヴでアグレッシブな生き方を、「ロールモデル」としてご呈示したいというような内容であったかに記憶している。 間の悪い話で

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    ijustiH 2008/09/23
    いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。/やべっ、気をつけなきゃ
  • 感情教育 - 内田樹の研究室

    ようやく夏休みらしくなってきた。 今日は朝日新聞の取材が一件あるだけ。 朝からゲラをさくさくと片付ける。『現代霊性論』の初校がほぼ終わりが見えてきた。 それでも机の横にはゲラが高さ30センチほど積まれたままである。 4冊分か5冊分あるらしい。 そんなにを出してどうするのであろう。 私の書評に「どれも同じ内容である」ということを以て難じる方がおられるが、そんなことは言われなくても書いている人がいちばんわかっており、かつ困惑しているのである。 月刊誌なみのペースで単行を出していれば、内容が同工異曲というよりはほとんど同工同曲となるのは勢いのしからしむるところである。 そんなにを出す必要はない、せいぜい2年に1冊くらいでよろしいのではないかとほとんどすがりつくように申し上げているのであるが、編集者たちはこの懇願にまったく耳を貸す様子がない。 彼らは口を揃えて「たしかに他の出版社の

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    ijustiH 2008/08/07
    「自分を偽ってでもみんなと仲良くしたい」というのが私の根源的趨勢であった。だとすれば、その趨勢をこそ「自分」と呼ぶべきであろう。/(ちょっとイタいけど)"抑圧系"の自分を重ねる
  • そのうち役に立つかも - 内田樹の研究室

    河合塾大阪校で講演。 予備校生たちをお相手に一席。 お題は「日人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」 せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。 あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。 当然ですね。 もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。 それができないと大学に入れない。 いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。 例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。 だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。 受験生としては、そういう外づけ的な理屈

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    ijustiH 2008/07/08
    自分が何を探しているのかわからないときに、自分が要るものを探し出す能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。
  • 記号的な殺人と喪の儀礼について (内田樹の研究室)

    秋葉原の事件について平川くんが書いている。 http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/ 彼のオフィスは秋葉原だから、まさに目と鼻の先で起きた事件である。 平川くんはこの事件については「よくわからない」という節度を保とうとしている。 確からしいことは、「かれ」は俺たちがまだ見出せていないような「必然」によって社会との繋がりから切断された存在になっていたということだけである。 その「必然」が見えなければこの事件は被害者と加害者というような明確な輪郭を持ってはいても、加害者の中に広がっていった闇については何もわからないままである。 もっと、言うなら、その闇の意味を見出せないままに書かれた「再発防止」の処方は、その闇を隠蔽し、広げるだけだと、俺は思う。 私は最後の部分が平川くんのとくに言いたいことだろうと思う。 無差別に人を殺すことを決意した人間の中にある、私

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    ijustiH 2008/06/12
    話の途中で、自分の解釈になじまないシグナルに気づいて、最初の解釈を放棄する/他人の人体を破壊できるのは、それが物質的な持ち重りのしない、「記号」に見えるときだけである。
  • 「平八」的なものについて - 内田樹の研究室

    恒例の「美山町のコバヤシ家で山菜天ぷらをべる会」に5、6日と出かける。 ノコさんに会う。 7、8年ぶりである。 ノコさんはコバヤシ家のオハギとともに、私の Ex-wife の中学高校時代のおともだちであり、私たちが九品仏にいたころ、すぐお隣に住んでいた。 どうして別れたの子ども時代の友人たちのご友誼を私が賜っているかについては説明するのが面倒なのであるが、私は基的に「一度お友だちになった人とは、ずっと友だち」という人なのである。 世の中には引越をしたり、仕事を替えたりすると、それまでの人間関係をあっさりリセットしてしまう人間がいるけれど、私はそうではない。 みなでお茶しながら、「でね、あそこの家たいへんなのよ」「あら、そう。お嫁さんがそれじゃね」というような会話を延々と続ける。 もりあがったのは当然「ミヤタケ」の話である。 これは子細あって詳細にわたっては言及することができぬ。 考え

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    ijustiH 2008/05/07
    すべての友人の分だけの数の「内田樹」が解離的に存在しており、私は定期的にそれを箱から取り出して、埃を払って、油を差して、また箱にしまうというようなことをしている
  • ヴォイスを割る - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの二回目。 宿題をして来たものだけ受講を許すといったら、一気に半分以上いなくなって(やれやれ)、40人ほどになる。 これなら、まあなんとか課題を出して読めない数ではない。 二回目は「ヴォイスを割る」ということについての課題でたぶんほとんどの人が「勘違い」をしているであろうというお話から入る。 「割る」というのは水平的、空間的に割るのではなく、「次元を割る」ということである。 「ご飯をべる」という一行を、「箸を手に取り、茶碗をたぐりよせ、口を開いて、口中に投じた米を咀嚼し・・・」というふうに書くのは「割る」でもなんでもなくて、ただの「引き延ばし」である。 町田康さんの一文を読んで、そういうふうに解釈した人はその段階で課題の理解を誤っている。 町田康の文章のもつコミュニケーションの深度は、「いまこの文章を書きつつある私のメカニズムそのものへの批評的自己言及」によっ

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    ijustiH 2008/04/18
    「攻撃的で皮肉で嘲弄的な壊乱者」の批評性を上位においた秩序/わずか十行ほどの間に、驚くなかれ、それぞれ機能を異にする「五つの私」が相次いで登場する
  • 霊的都市論 - 内田樹の研究室

    私にとっての東京とはどの範囲かという話を昨日江さんと堀埜さんを相手にしゃべった翌日に小田嶋隆さんのブログを訪ねたら、小田嶋さんも同じ主題について書かれていた。 おお、シンクロニシティ。 小田嶋さんは東京「キタ」の人であり、私は東京「ミナミ」の人であるので、この差異について若干の思弁を弄したいと思う。 ちなみに「キタ」は「キ」に、「ミナミ」は「ミ」にアクセントを置く(三波春夫と同じ)のが関西風儀である。 まず小田嶋さん的東京とは次のような範囲を指す。 自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。 河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。 で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。 その「範囲」

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    ijustiH 2008/02/19
    総武線以北とお茶の水以東は私にとって「アウェー」/池袋は物凄く遠いと思い込んでいた
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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    ijustiH 2007/08/21
    首相が「ほんとうのことをいう」のをじっと待ってしまった/「弱者は醜い」という「勝者の美意識」に大都市圏の「弱者」たちが魅了されたという倒錯
  • Insight メインコラム094 - 内田 樹 「学び・再構築──未来に向けて変化を続ける」

    内田 樹  うちだ たつる 神戸女学院大学文学部総合文化学科教授(フランス現代思想、映画論、武道論) 1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退。東京都立大学助手、神戸女学院大学助教授を経て、教授。著書「知に働けば蔵が建つ」「先生はえらい」「他者と死者」「死と身体」「街場の現代思想」「子どもは判ってくれない」「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思考」「寝ながら学べる構造主義」「レヴィナスと愛の現象学」、共著「健全な肉体に狂気は宿る」「14歳の子を持つ親たちへ」「身体の言い分」「大人は愉しい─メル友おじさん交換日記」など。合気道6段。 「学ぶ」とはどういうことか。 今、学校教育の場で行われていることは、来の意味の「学び」ではない。わかりやすい比喩で言えば、「雑学」と「教養」は違う。「雑学」は二次元平面上に情報や知識をただ並べた状態で、

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    ijustiH 2006/06/11
    学ぶというのは、その不条理な経験、見えない未来に身を投じ~発見していく。出発点において意味はわからない。学ぶことを通じて意味として立ち上がってくる
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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