あるいは何もつけないべきなのか? そしてどのタイミングで食べるべきなのか? あるいは食べるべきではないのか? 俺は謎を抱えたまま――とりあえず3時のおやつに白だしを垂らしてチンしたコロッケを食べる――これが暫定的ベストコロッケイクスピアリアンスだと思っている。
まあ少なくともラブライブではないと思う。 あれは「努力・友情・勝利」の物語が、努力も友情も勝利という目的のための手段に成り果てるという構造的欠陥を抱えていることに無自覚すぎる。青春も、思いも、全てがアイドルとして多くのファンを獲得するための道具になってしまっている。アイドルは物語によって夢を売るものだけど、その物語が飾らない自分たちの青春であれば、それは青春すべてがファンサービスの一環として商業主義の中で昇華されるリスクを抱えることになる。μ'sの物語は見事に自ら生み出したその消費の渦に飲み込まれてしまい、学園生活のすべてがアイドルとして勝利をおさめるまでの過程となった。手つかずの自分たちだけの青春はもう欠片ほどしか残っていない。自分たちだけの努力、ファンの手垢にまみれていない純粋な友情、それらすべての当たり前の学生らしい青春が失われて、アイドル活動の一環でしかなくなった青春。その世界観が
ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。 田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。 私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。 とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。 ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手
二次創作を楽しむオタク達よ、楽しんでやっているだろうか。 今回はこの場をお借りして原作未履修者について少しばかり自分の思うことを書いていこうと思う。 これは一つの意見なので暇つぶし程度に見てくれると嬉しい。 まず私は原作主義者だ。「原作やってないけど創作しましたー!」っていうのが嫌いなタイプだ。 タイトルの主語は少し大きいが、原作未履修者を全員叩く文ではない。これは「原作全く知らないから自分なりに考えて独自の設定をつけてオリキャラみたいにしました!」という人を指す言葉である。 自界隈ははっきりいうと原作をやっていない人が創作をしていたりするようなジャンルだ。昔の作品であり、今は入手するのが少しばかり面倒な作品であるからであるのと、今はネットで調べればあらすじやキャラクターの関係なんかは出てくるからというのもあるだろう。そのため原作を見たことのない人が少なからずいる。 ゲームなんかだと実況動
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。 子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。 子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。 親がこんなこと言うのも、エゴ丸出しで良くないかもしれないが まさに自慢の作品たち!
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