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ブックマーク / essa.hatenablog.com (43)

  • 「核変換」抜きの原子力は未完成な技術 - アンカテ

    原発をどうするかについて考えるには、当然のことながら、まず現状がどうなっているかを正確に把握することが必要だ。そして、その「現状」の一番重要な、基となるポイントは、原子炉の状態だ。福島第一原子力発電所の、一号機から三号機の原子炉の中の溶けた燃料は、今いったいどうなっているだろうか。 炉心の中のあるべき正規の位置にはもう燃料が無い、ということだけは、どうやらはっきりしているようだが、それ以上の所は誰にもわからないらしい。 可能性としては、およそ以下の4通りがある。 圧力容器の中 格納容器の中 格納容器を溶かして格納容器を飛び出している 冷却水の中に溶け出して、建屋の地下等の汚染水の中にある しかし、この中のどれかはわからない。複数の場所に分散しているのかもしれない。 燃料の位置もわからなければ、状態もわからない。溶けた燃料がひとつに固まっているのか散らばっているのか、それとも粉状になってバ

    「核変換」抜きの原子力は未完成な技術 - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2011/06/15
    久々にはてぶ→「私は原子力推進論者である」「〜原子力発電という技術をそのまま進めていこうとするのは、空想的で非現実的で非常識な発想だと思う」
  • 「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」 -- 10代の子供に読ませたい本 - アンカテ

    ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である 何と言ってもこのタイトルが素晴しいと感じて、一刻も早く読みたいと思った。ありがたいことに、私はこのの材料となったブロガーへのアンケートの回答者に選んでいただいていたので、すぐに、著者のいしたにさんから「献をさしあげますので、送付先をメールしてください」というお知らせが来た。 しかし、それが、どういうわけか、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日回しにしているうちに出しそびれてしまった。 そのうちにいくつかレビューが出はじめたので、屋に行って買おうとしたら、発売は少し先になると言われた。「しまった!献を受け取れば発売前に早く読めたのに!」と思い、メールで連絡の遅れをおわびしてやっぱり献で読ませてもらおうと思った。 しかし、これがまた、どういうわけか、またもや、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日

    「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」 -- 10代の子供に読ませたい本 - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2010/12/13
    子どもに何を教えるか、腑に落ちるタイミングの最適化、メール返せない病の言い訳…
  • 「序列」信仰とスモールワールドネットワーク - アンカテ

    Here Comes Everybody: How Change Happens when People Come Together このの9章で、著者のクレイ・シャーキーは、ネットの中で人々はこんな感じでつながるという話をしている。 この図は、スモールワールドネットワークという理論に基くものだが、ポイントは以下のような所だと思う。 上下の階層構造は無くても秩序は保たれる 全ての人や集団が対等であっても、社会がバラバラになるわけではない 集団内の緊密さや濃いつながりと、社会全体のまとまりは両立する ネットによって、これまで「権威」とされていたものの化けの皮が剥がされ、上から下を管理する形の秩序が壊れている。その時に、人々が個別に分断化され、個人でバラバラに世界全体と対峙することになるというイメージを持っている人が多いように感じる。 たとえば、私は、「就活」という言葉が、カルト宗教のような

    「序列」信仰とスモールワールドネットワーク - アンカテ
  • 成果が永遠にみんなのものであり続ける仕組みも含めてオープンソースという言葉を使おう - アンカテ

    オープンソースという言葉がソフトウエア以外の分野に広まることで、良いことと悪いことがひとつづつある。 非組織的で自発的なコラボレーションの有効性が一般に広く認識され市民権を得る オープンソースでないソフトウエアがオープンソースと呼ばれてしまう危険性が高まる 私は、1.を重視して、他分野に転用してこの言葉を広い意味で使ってきた。だから「お前が言うな」と言われそうだが、オープンソースという言葉を使う時には、2.についても考慮すべきだと思う。 オープンソースとは、来は、開発の方式ではなくてソフトウエアのライセンスを分類する為の言葉だ。オープンソースの定義 という広く認められた文書があって、これに合致するライセンスによって配布されているソフトウエアがオープンソースである。 つまり、ソフトウエアは、それがオープンソースであるかそうでないか、何の紛れもなく客観的に判定できるのだ。だから「オープンソー

    成果が永遠にみんなのものであり続ける仕組みも含めてオープンソースという言葉を使おう - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2009/07/13
    "「みんなのものを俺のものにしようとする奴は、一定数絶対に出現する」というのが、オープンソースの第二の発見"
  • 最高クラスの「荒らし」としての梅田望夫 - アンカテ

    梅田さんのインタビューがすごい反響を巻き起こしているが、この喚起力は梅田さんの立ち位置と切り離せないものがあると思う。 つまり、普通の40代後半のおじさんが全く同じことを言っても、ここまで騒がれることは無いだろう。 発言の中身そのものは、意味が無いとは思わないが、一連の著作と比較したらその意味はずっと薄い。少なくとも私は、「シリコンバレーから将棋を見る」の方にずっと興味がある。 梅田さんは、しっかりと資料を集め、吟味し整理し、練りに練った文章で力を発揮する人で、褒めるにしろ貶すにしろ、そういう力作を対象にすべきだと思う。今はサバティカルの時期でそういう作業をしてないんじゃないかという気がする。そこから垂れ流される愚痴にはあまり意味がない。誰にだって緩む時期があったっていいと思う。 ただ、「どうして梅田望夫はこれだけの影響力を持ち得たのか?」ということには興味がある。 この影響力のユニークさ

    最高クラスの「荒らし」としての梅田望夫 - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2009/06/08
    ”きっちり反論を吐き出させてしまう”これは本当にすごい。 長期休暇中の人の言葉をみんな待ち望んで、一言言いたくなる。「日本のウェブが残念」だとか「ハイブロウが好きですよ」とかは二の次、ということ
  • 冠婚葬祭というSNS - アンカテ

    結婚式や葬式というのは、SNSのホームページのようなものだと思う。 そこにいる誰もが、新郎新譜を心から祝いに来るわけでもないし、故人を追悼する気持ちに満ちているわけでもなくて、浮世の義理で仕方なく来ている人も多いだろう。しかし、そこにいる人の顔ぶれを見ていると、総体としてその人がどういう人なのかある程度は見えてくる。そして、何か理由というか事情があれば、そこにいる人同士は互いに紹介してもらうこともできなくはない。 関係性の深さ(あるいは浅さ)で見ると、SNS友人一覧に出ている人の平均と、結婚式や葬式の出席者全体の平均は似ているだろう。濃い関係の人が少数いて、知らないわけではないけどよくは知らないという関係の人がたくさんいる。それがネットワークとして機能することも同じである。これまでに義理で出席した結婚式と葬式の数が、自分が所属しているコミュニティの数ということになるだろう。 濃い人間関係

    冠婚葬祭というSNS - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2008/09/13
    不正が嫌いでも、自分が権力ある人と薄い繋がりを持つようになれば癒着とかまんざらでもなくなる、
  • 「見えない次元の競争」の重要性 - アンカテ

    海部美知さんが、ドコモは「幕末の日国」なのかもというエントリで、私のドコモはアップルの出入り業者になる覚悟があるのかに触れて、「現在ドコモの内部では鎖国派と開国派が抗争中なのではないか」という推測を書いている。 言われてみれば全くその通りで、頭の中のモヤモヤとしたものが一瞬だけ晴れる気がしたが、しばらくして「でもそんなことやってられる状況なのか」とまた複雑な気分になった。 NTTという組織は、私が「パラダイス鎖国」で書いた日の特徴に似てるところがある。その昔ならば「積滞解消」*1とか、最近であれば「携帯電話の普及」「iモード普及」「光回線ウン千万」みたいな、「広くあまねく」みんなにサービスを行き渡らせることは得意で、そういった「みんなが賛成しやすい」目標がはっきりしているとガンガンやるし、中の人もそれに意義を感じて一体になって頑張る。でも、その目標が達成されてしまうと五月病に陥り、「広

    「見えない次元の競争」の重要性 - アンカテ
  • モロッコ・フェズの「聖なる音楽のフェスティバル」 - アンカテ

    ひょんなことから「Sound of the Soul」というDVDを観て、非常に感激したので、是非、これを紹介したいと思います。 Sound of the Soul これは、モロッコのフェズという旧都で行なわれた「聖なる音楽のフェスティバル」を記録したドキュメンタリーフィルムです。 まず、何より素晴しいのが、収録された音楽がどれもすごく良いこと。普通に言えば宗教音楽なのですが、雰囲気的にはワールドミュージックという感じが近いです。踊りたくなるような躍動的な曲もたくさんあります。 それから、イスラム教の国で行なわれたのにもかかわらず、フランス、イギリス、ポルトガルといったキリスト教国からのミュージシャンもたくさん参加していて、非常に場に溶け込んだ感じのリラックスしたパフォーマンスを見せていること。これ見たらイスラム教のイメージが変わります。 フェズにはユダヤ人も多く住んでいて、戦争中に国王が

    モロッコ・フェズの「聖なる音楽のフェスティバル」 - アンカテ
  • テレビっ子をテレビ局が逃がしてしまうのは何故か - アンカテ

    私はよくマスコミ批判をする割には根っからのテレビっ子であって、見たい番組がなくても、とりあえずテレビをつけてしまうことが多い。 テレビが日々駄目になっていることはよくわかっているので、そういう生活習慣をいつか改めなきゃならない日が来るだろうなと頭では思っているのだが、なんとなくテレビがないと落ち着かないのである。 ずっとそう思っていたのだが、タバコとテレビはやめられないまま、ここまで来てしまった。 しかし、最近、いよいよ年貢の収め時だなと感じるようになった。何となくつけているテレビがどうにも不快に感じることが多くなった。もちろん、不快な番組はいくらでもあったけど、チャンネルをいくら変えても、不快でない番組が見つからなくて、仕方なく、当に仕方なくいやいやテレビを消すことが増えてきた。 それで、これが案外つらいんですね。生活習慣を改めるというのは、思ったより大変である。何でこんな思いをしてま

    テレビっ子をテレビ局が逃がしてしまうのは何故か - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2008/03/23
    はまることとシラフでいること、意思決定、イノベーションのジレンマ、とか
  • Public space(Google) VS Private spaces(MS,Facebook) - アンカテ

    Facebookの急成長とマイクロソフトのYahoo買収宣言は、グーグル歴史の中で一つの分水嶺になると思う。 そう考えると、(偶然だと思うけど)ちょうどこの時期に、Open Social APIが発表されたことの意義は大きい。 つまり、これは、WEBというpublic spaceを便利にする人(グーグル)と、private spaceを便利にする人(Facebookとマイクロソフト)が正面衝突したということだ。 WEB上にあるものは、誰にでもアクセスできる。WEBは誰にでも開かれた場所だ。publicな場所がどんどん便利になっていくことが、WEBの歴史であり、同時にグーグル歴史でもある。 ドキュメントをpublic spaceに置くと、タダで検索できるようになる。private spaceに置いたら、自前で検索エンジンを用意しなくてはならない。RSSリーダもそうで、publicなフィー

    Public space(Google) VS Private spaces(MS,Facebook) - アンカテ
  • 2008-01-31

    例によってメタな方向に話を広げようと思うんだけど、Ruby VS PHP論争の背後には「自分の経験の枠組みは自分で変えられる」という発想の有無という問題があるのではないだろうか。 そう思ったきっかけはこれ。 影響力のある人 - L'eclat des jours(2008-01-31) artonさんは、Matzにっき(2008-01-29)のコメント欄にあった、「影響力の大きい人が発言してるので怒ってます」という一言レスに着目して、興味深い考察をしている。 影響力のある人ってのは、つまり権威ってことなんだし、自分で吟味しない人は常に一定の割合でいて(そうでなければ、世の中に権威という存在はありえないわけだが、実際、存在している)その人たちに影響を与える。 ってことは、権威がある人は、だめなものはだめ(良いものは良い)、と言うべきですね。 私も全くその通りだと思ったけど、冒頭のように考えて

    2008-01-31
  • 暇人は社会のインフラ - アンカテ

    ベーシック・インカムを導入したらどうなるか試算してみる 私の五人国家のベーシックインカムよりずっと現実的な試算ですが、やはり、全く不可能なことではないことがわかると思います。 もちろん、さらに精緻に考えていけばいろいろな困難が出てくると思いますが、私は国力増強策として、日という国の為にこれをやるべきだと考えています。 なぜかと言えば、一国の経済にとって労働人口より暇人の総数が重要になり、それによって国力が左右されるようになるから。 ブログサービスの供給者になって考えてみればわかりますが、みんなが汗水流して朝から晩まで働いていたら、ブログを書いてくれる人はいないでしょう。ブログというのは、まず数が無いと面白いものは出てこないし、最初から面白いブログを書く人を見つけることは無理。それにたくさんのブログがからみあうことでコンテンツの魅力が増すので、とにかく暇人がいっぱいいる国の方が楽にトラフィ

    暇人は社会のインフラ - アンカテ
  • 身の程の不確定性と社会の説得力 - アンカテ

    考えてみれば、「お前が出世できないのはお前の生まれた身分が低いせいだ」と言われるのと、「お前が出世できないのはお前に実力が無いせいだ」と言われるのでは、後者の方が救いが無い。「身分の違いだから仕方が無い」と言う言い訳は、自我を守るための防衛機制としても良くできていたのだろう。 身分制度は民衆の不満を多く生じさせるシステムだが、その不満を低減する仕組もそれなりに用意されていた、と言える。 「社会の説得力」という観点では、身分制度にも一定の合理性があるという話。 もう少し細かく言うと、上に立って社会を率いる立場の人たちの中に分業があるということではないだろうか。 つまり、高い身分の人というのは、その下に参謀とか番頭といった、実際の判断を行うブレーンをかかえている。今の官庁で言えば、課長補佐くらいの人が、実質的に物事を決定したり判断したりしている。でも下から見れば、そういう実質的なリーダーの姿は

    身の程の不確定性と社会の説得力 - アンカテ
  • 初音ミクに便乗して創発的権力論再び - アンカテ

    初音ミクニュース こんなブログが出来ていて、2ちゃんねるだけでなくブログでの言及も凄い数になっているようです。 私は前のエントリに書いたように、これは人為的な削除ではないと見ていますが、これを人為的な情報操作と見て怒っている人が多いようです。私も、もしそんなことが当に起こったら同じように怒ると思うので、その感情的な面には非常に共感しています。この騒ぎは単なる空騒ぎではなくて、この手の情報操作がいかに大きな反作用を呼ぶかということについて、特に旧メディア側の人に理解してもらういい機会になると思います。 ところでしかし、この怒りは、何に対する怒りでどこに向かっているのでしょうか?グーグルの中の人が電通の依頼で削除コマンドを打ち込んだとしたら、我々は何を失うのでしょうか?我々の怒りは何を求めているのでしょうか? それはもちろん、削除コマンドを取り消して、元の状態に戻すことです。では、その「元の

    初音ミクに便乗して創発的権力論再び - アンカテ
  • 赤木智弘にひっぱたかれたくない! - アンカテ

    「丸山眞男」をひっぱたきたい -- 31歳フリーター。希望は、戦争。 この論文が、論座という雑誌の1月号に掲載され大きな反響を呼んだ。私は、その論文自体は読んでなかったけど、あちこちのブログで取りあげられていたので、およその内容はだいたいわかっていて、その後の論議もある程度はフォローしていた。 先日公開された元の論文を読んでみて、赤木氏の主張やそれに対する反論の内容はだいたい予想通りだった。が、ひとつだけ現物を読んで初めてわかり、「あっ」と衝撃を受けたことがある。 それは、タイトルの「『丸山眞男』をひっぱたきたい」が何を意味しているのかということ。 私は、この「丸山眞男」は何かの思想の象徴なのだと思っていた。赤木氏が批判している今の思想的状況の大元を作ったのが「丸山眞男」であり、現代の知識人を右も左もまとめて大枠で丸山の後継者であるとして、その思想を批判する為にこの人を象徴として「ひっぱた

    赤木智弘にひっぱたかれたくない! - アンカテ
    imaokazuki
    imaokazuki 2007/08/23
    戦争は始まってるというか終わってないというか。>魂の戦争。なるほど
  • 汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 この考え方をブログの対話に適用するとどうなるかという話。 専制君主としての「客観性」 「君の(あいつの)意見は客観的ではない」という悪口は、私が若い頃にはよく聞いたが、最近はほとんど聞かない。 日常会話の中でそういうことを言う人が客観的であったことの方が稀であるような気もするが、ともかく「客観的」であることが何らかの権威に通じていた時代の端っこに私は生まれている。だから、その失墜には多少の生活史的な実感がある。 日常会話の中と同様、学問の世界でも「客観的」という価値基準の権威は激しく失墜している。 こので主張されている「構造構成主義」とその中のキーワードの一つである「関心相関性」という概念。どちらも、質的に多義性を含んでいて、いろいろな説明の仕方があるが、私としては「客観性という価値からの戦略的撤退」と位置づけたい。 「構造構成主義」は、現代

    汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)
    imaokazuki
    imaokazuki 2007/06/16
    個人と社会
  • 黒船(嘉永6年6月4日)(インストゥルメンタル) - アンカテ

    黒船ってこういう感じだったんだろうね。 ちょっと前に話題になったアップル激怒、文化庁には著作権行政の資格無し - Engadget Japaneseという記事へのはてなブックマークのコメントをなんとなく見てたら、こんなコメントがあった。 「まあ、そうかもね」と特に深い感慨もなく読み流したのだけど、その直後から、脳に電極刺されたように猛烈にこれが聞きたくなった↓。 黒船 アナログ版で大昔に聞いて、何年も聞いてなかったアルバム。ちょっと前にアマゾンで注文しようとしたら在庫切れだった。 これがどうしてもすぐに聞きたくなって、CDショップに行ってみたら、あったんですね。ちょうど再結成した三期ミカバンドのライブが出ていて、そのついでに再発されたのだろうか。 ペリー来航の前後の幕末の日をイメージしたトータルアルバムになっていて、黒船(嘉永6年6月2日)〜黒船(嘉永6年6月3日)〜黒船(嘉永6年6月4

    黒船(嘉永6年6月4日)(インストゥルメンタル) - アンカテ
  • 遅延最適化社会 - アンカテ

    しみじみ感動するのは「こんなにいい加減でも先進国が運営できるんだ」ということ。そして、このいい加減さで社会がちゃんと機能するのは「現場レベルでの個々人の独自の判断」があるから。 このエントリは、最後に「アメリカいい加減話」リンク集もついていて、そこも含め必読。 「現場レベルでの独自の判断にまかせ、なるべく一般解を導かない」という、アメリカ社会全体を貫く特質は重要だと思う。 日は、その逆を行っていて、言葉の使い方からマナーから教育から冠婚葬祭から電話のかけ方からスピーチの仕方から、いろんな所に最適解が最初から用意されていた。だから、現場レベルの個別の判断がなくても回るように社会ができていた。 しかし、最適解は、状況が変わると往々にして全く使えない解になってしまう。 ソフトウエア開発でも、「いつどの程度最適化するか」というのは永遠の難問である。 多分この問題は、Lisperの臆病さに根ざして

    遅延最適化社会 - アンカテ
  • 「WiiでYouTube」と「携帯でネットラジオ」してみました - アンカテ

    今日は、まず、YouTubeで見つけた名演をいくつか紹介します。 Bobby Mcferrin improvisation with Richard Bona 赤色エレジー / あがた森魚 忌野清志郎 & 山下洋輔 - You Send Me 最近、居間にある子供のWiiをネット接続したのですが、テストを兼ねてあちこち見ているうちに、見つけたものです。 YouTubeのことはよく知っているつもりだったけど、パソコンでやるのとWiiでやるのと違いますね。 Wiiでのブラウジングは決して使いやすいとは言えません。字が小さくて画面が小さくて、拡大縮小と画面の移動を煩雑に行なう必要があります。もちろんWiiリモコンだから、操作は直感的にできていいんだけど、やっぱり目が疲れる(年かな?)。 でもね。居間で寝転がってやるっていのは、気分が違います。私なんかは、パソコンが完全に仕事道具ですから、どうして

    「WiiでYouTube」と「携帯でネットラジオ」してみました - アンカテ
  • 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ―アンカテ(Uncategorizable Blog)

    昨日のエントリを書くために自分の過去ログを検索していて再読したが、道に落ちてる直径30cmのケーキに出くわしたアリさんモデルという表現は、実に、今、WEBで起こっていることの質を表現していると思う。 Skypeやグーグルが何でもかんでもタダで提供するのは、第一には自分たちだけではとてもいくれないからだ。 そして、これはそんなに特殊なことでも不思議なことでもない。 書でいわれる「リアル社会」を、私はかねがね「脳化社会」と呼んできた。ネットの社会は、私から見れば、「リアル社会」がより純化したものである。 「リアル」な社会とは、養老氏の言い方で言えば「脳化社会」、つまり、シンボルの操作で回っている世界である。だから、現代の労働は大半がシンボルの操作である。 そして、純粋なシンボルの操作であるプログラミングという作業においては、生産性の個人差が非常に大きく、今までの社会は生産性の低い方の人間

    働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ―アンカテ(Uncategorizable Blog)