タグ

ブックマーク / kbkb8.hatenablog.com (7)

  • 春のけはい - ひらめきは雨のように

    このあいだ少し散歩をしてきました。 何度もこの道しか歩いていないのに 感じることは都度変わるのでなかなか飽きないです。 すこしうれしいことがあったとき モヤモヤしたとき まとわりついていたものがめくれて行くような そんな感覚になります。 「小箱さんは前からずっと自粛生活だよね(笑)」 知り合いから言われました(笑) そうなんですよね。 旅行とか世間的には楽しそうだし 実際、私もよく連れていってもらってたと思うんですが 身体の移動や人がたくさんいる場所にいると疲弊してしまう。 その分、心はずっとあちこちに出かけていたような 気もしています。 青の洞窟なんて憧れてたんですけど(笑) ひさしぶりの散歩は 春の気配でした。 誰かがしてくれた春の準備を見つけて もう春がくるんだなあとか (眼鏡落とされた方) 善意なんてきっと考えない思いやりと出会って 以前にも書いたなと思いだしました。 こういうもの

    春のけはい - ひらめきは雨のように
  • なんだかんだ言いながら、人はいつも一人ではないかもね - ひらめきは雨のように

    「生きてるだけで上等な日」 誰に何を言われてもそういう日も必要で 嫌なことがあったからではなく 「生きるってしんどいな」「消えたい」 これって今、発達の人にスポットが当たりがちですが 多くの人が一度は考えますよね。 たぶんそれで健全だと思います。 なにもしてなくてもしんどい 「気質」 何かの論文や 商売めいた安っぽい説明などでも いつもどこかで見るこれらの言葉、私は脳のタイプだと解釈しています。 発達の概念を参考に取り入れると 気質というものはどの人にもあって 日常に困っていなくともメンタルが落ちたときや その事情で どちら寄りかということが明るく見えて来るような気がするのは 私のような「グレーゾーン」のご相談の特権。 診断の責任を負えないからこそ 可能性を広げられることかもしれない。 年末、薬局などで滋養強壮で一番いいものを求められる人いますよね。 とにかくしんどいと。 胡散臭いスピの相

    なんだかんだ言いながら、人はいつも一人ではないかもね - ひらめきは雨のように
  • 今の欲望まみれのスピリチュアルに実はうんざり、だけど書く、これしかできないんだもの(笑) - ひらめきは雨のように

    真理にたどり着くことはないし たぶん、私にとってはずっとずっと、続いていくことで 先日あるブログで 「小さい頃の感覚に、今の自分が言葉を乗せられるようになっただけ」 というスピリチュアルを表現された言葉に出会いました。 その文章に私はとても共感したんです。 発信が簡単に出来てしまう今 なにかの思想がその人その人の都合のいいところだけを 無意識で選んで持っていけてしまうこと。 「ラクになる」 逃避か当の自分に出会える、これも両方を含みますよね。 このことの重みを感じていない人が さらに盛り付けて発信したりして たとえば「お金を稼ぐ」にしろ 「新しい仕事でがんばって稼ぐぞ!」と 「お金がバサバサ入って来ますように♡」 それだけのニュアンスだけでも 使い道もきっと違うと思うんです。 潜在意識に訴えかければ?訴えかけられてもいないけど 誰かに頼んで術やらなにかを外してもらって ほしいほしいほしい

    今の欲望まみれのスピリチュアルに実はうんざり、だけど書く、これしかできないんだもの(笑) - ひらめきは雨のように
  • 前世鑑定あるある~のどが詰まるような感じ、声が出しづらい(ヒステリー球、梅核気など) - ひらめきは雨のように

    さんざん鑑定しておいて何を今さらな話ですが 「前世ってなんだろう」 ご依頼をいただいて見せてもらえるストーリーが 現代の様子ではないので今のところ 前世でというおとぎ話の一環としてお伝えさせてもらっています。 「前世」「過去生」での その中に「メッセージ」めいたものが含まれていることも多く けれど「ほらね!」って証拠をパーンと出せるものでもないので ただただ、その人に集中すると見える世界。 「前世って、あるのかな」 これは、実は私が一番に思うことだったりすることで 経験を重ねていくごとに当の意味で人は死なないかもしれない。 見えない世界からそういう風に伝えられるような ひとつの方法にすぎないとも思えるんです。 昨年にわりとあったこと。 のどの詰まり、特に音を言いたいときなどに のどが詰まってうまく話せない。 こういう感覚を感じさせられることが時々ありました。 その世界観に集中していると

    前世鑑定あるある~のどが詰まるような感じ、声が出しづらい(ヒステリー球、梅核気など) - ひらめきは雨のように
  • ホームレスと有名人とダーリン - ひらめきは雨のように

    この世的に見て 恵まれた人とそうでない人。 子育てが終わってしまってから 「個」になったので 私にはますます関係なくなりました。 いろいろな意味で「選ばれた人」 崇められている人と、はみ出し者の 共通点は多すぎて、人の心を動かす。 私には「そういう人」のように見えることが多いです。 スピリチュアル界隈に発達系の人が多いのは 逃避を求める人と真実を求める人の区別がつきにくく どちらにしろそちらでの「才」があっても「逃避」に使っている限り 霊感が強めであってもスピリチュアルから離れた方がいいのではないか そう思ってしまう人がたくさんいます。 「霊感がある」 「霊能力がある」 だから、というところ。 低級霊のオモチャになってしまっている人 すごく多くなった気がします。 こう言いながら私も今もそうではないかと 改めることが増えました。 自分一人で守護霊通信を受けているときはいいんですが それに頼る

    ホームレスと有名人とダーリン - ひらめきは雨のように
    imaterasu
    imaterasu 2019/09/28
  • 徒然に - ひらめきは雨のように

    当かどうかわからないですけど 今の現代人の一日の情報量は 江戸時代の人の一生分、なんて話を聞いたことがあります。 ネットでもいろいろ情報があって だからこそ間違うこと。 とても増えたような気がします。 知識だけで語れる事柄には それを選ぶ感覚とお金を使うこと。 どうかわからないことについては 小さな疑問を 「この人が言っているからそうだろう」 「多勢が言うからそうだろう」 こうやって流してしまわないことが 私には合っているようでした。 脳が現実の自分から逃避したくて 事実のように見せて来る事柄はたくさんあります。 小さい頃から自分の頭や起こるできごとを疑い続けたことは 私みたいなタイプにはちょうどよかったかもしれません。 昔、思ったことありませんか? 「これはひょっとしたら夢で 今いる自分も夢の一部かもしれない」 私、小学生の頃よく思ってたんです。 そして、うつになったときは なにを言わ

    徒然に - ひらめきは雨のように
    imaterasu
    imaterasu 2019/09/08
  • 24時間、365日。これもただの概念であり目安かもよ、なんて - ひらめきは雨のように

    今年も終わりましたね。 「24時間テレビ」 24時間テレビを見なくなって どれぐらい経ったんだろう? かなり視聴してない気がします。 昔はそれはそれは感動していました。 「負けないで」「サライ」 色がかすまない名曲も生まれましたよね。 日常で見逃してること、知らない世界を 当時はわかりやすく伝えてくれたのではないかとも振り返るんです。 なにより深夜にテレビが放映されてること自体がうれしかった。 「感動ポルノ」という言葉が 認知され出してきた今の時代には 少し苦しくなってきたんじゃないかとも思うんですね。 今や「またか」 「ゴールができない設定で次の番組にまで引っ張るのか」 ギャラが発生してなかったら また違う意味でお祭りかなあとも考えるんですけど もうずいぶん長い間、放映してきた現在は 出演者の方に支払ってるギャラをどーんと寄付して その告知だけしたらちょっとカッコいいのに そうしたらテレ

    24時間、365日。これもただの概念であり目安かもよ、なんて - ひらめきは雨のように
    imaterasu
    imaterasu 2019/08/26
  • 1