ザナックの演出家に徹したフォード、 そのクレイジーなコメディ感覚を70年遅れで発見! 私など実際のところアメリカ映画史を全然知らないのだなあと、つくづく考えさせられた。『四人の復讐』はジョン・フォードが1938年に撮った映画だが、全く未知の作品だったのだ。83年のフィルムセンター、あの大々的な「ジョン・フォード監督特集」でも上映されていない。その解説カタログを数年ぶりに引っ張り出して読んでみた。するとさすがに双葉十三郎はリアルタイムで見ていた。ただし評価は低い。「私は彼が20世紀フォックスに戻って作った『四人の復讐』と『サブマリン爆撃隊』をあまり高く評価できない。はっきり凡作というべきであろう」(「戦前のジョン・フォードを想う」より)とある。双葉のフォード評価を文脈に沿って総括しておくと、要するにこれらは二大傑作『ハリケーン』(37)と『駅馬車』(39)の狭間に位置する「雇われ仕事」に過ぎ
<『サイコ』の画面サイズに関する「いきちがい」対話より> アルフレッド・ヒッチコック監督傑作の一本『サイコ』の画面サイズは何だった、と新旧二人の映画マニアに聞いたとする。聞いたのは私で実は既に答えを知っている(今回放送版を確認済み)。数年前DVDで初めて見たという新しいファンは、ヴィスタサイズ(註1)だったようだと言う。ハイビジョン系のTVモニターにすんなり収まっていたはずだ、と。一方、旧ファンはスタンダードサイズ(註2)だったと結構確信的である。最後に見たのはやはりTVで、ただし今から四半世紀以上前だったけれどもその頃のTVモニターにすんなり収まっていた、と。 実は私が『サイコ』を初めて見たのもTVだった。多分1973年頃のNHK、当時、月に一回土曜日夜十時からノーカット字幕もちろんCMなしで洋画を放送していた、そのシリーズの一本で見ている。それは確かにスタンダードだったのを覚えている。
スターリンと赤ちゃん ―― 『鉄のカーテン』を見る前に ■イントロ 1946年3月、労働党に敗れ、当時英国首相の座を退いていた政治家チャーチルはトルーマン大統領の招きに応じて渡米し、大統領の故郷ミズーリ州フルトンである演説を行った。後年有名になるそのスピーチには「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」という一節が含まれていたのであった。これは要するに、東ヨーロッパがソ連を中心にまとまりつつある状況とその閉鎖的な対外政策への懸念を表明したものであり、引いては資本主義と共産主義という対立する二つのイデオロギーで世界が二分される、いわゆる「冷戦」構造を予言する託宣でもあったことになる。元来「鉄のカーテン」"The Iron Curtain"とは舞台用語(客席と舞台面を遮る「防火用シャッター」の意味)であり、また敗戦直前ナチスのゲッ
<暗灰色に彩られたグレイ版『白夜』> ジェームズ・グレイの待望の監督第4作『トゥー・ラバーズ』(2008)が、WOWOWシネマでようやく本邦に初紹介される。 彼が弱冠25歳で撮り上げたデビュー作『リトル・オデッサ』(1994)を封切り時に見て、そのおよそ新人監督らしからぬ人物造型の彫りの深さや、陰影に富んだ画面設計の見事さに思わず唸らされて以来、アメリカ映画界の次代を担う稀有な逸材としてグレイの才能に着目し、ひそかに彼を応援してきた筆者としては、『裏切り者』(2000)、『アンダーカヴァー』(2007)と、作品の骨格や演出手腕をスケールアップさせつつ、まぎれもない彼独自の映画世界を築き上げてきたグレイの成長ぶりが何とも頼もしく、かつて直感的に抱いた彼への期待が今や深い確信に変わりつつある。 けれども、ここ最近の映画配給・興行の環境状況の悪化を反映して、かつてなら当然、劇場で公開されてしかる
<ハロー、プロフェッショナル ― 最高の相棒=ホークス映画と出会い直すために> ◆ジャンルを超越した娯楽映画の達人 痛快無類の面白さとスリルに満ちあふれた極上の娯楽映画を次々と世に送り出し、ハリウッドの黄金時代に君臨した神話的巨匠、ハワード・ホークス。さまざまな映画ジャンルの作品を幅広く手掛け、なおかつ、各ジャンルを代表する傑作・名作を次々と生み出した天才的映画作家となると、やはりこのホークスと日本映画界の名匠マキノ雅広の2人だろう。 鮮烈この上ないギャング映画の決定版「暗黒街の顔役」(1932)。美男美女たちが疾風怒とう、傍若無人の狂乱騒ぎを繰り広げる、「赤ちゃん教育」(1938)「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)「教授と美女」(1941)などの抱腹絶倒のスクリューボール・コメディー。スリル満点のハードボイルド映画、「脱出」(1944)と「三つ数えろ」(1946)。西部劇の精髄と醍
<ムシェットあるいは美徳の不幸> 2010年に邦訳出版された(フランスでの原著の刊行は2007年)アンヌ・ヴィアゼムスキーの小説「少女」の登場は、日本の映画ファンたちの間でも大きな反響を巻き起こした。これは、当時まだ17歳の無名の女子高生でいきなり、ロベール・ブレッソン監督の新作映画『バルタザールどこへ行く』(1966)の主役に抜擢された彼女が、未知なる世界への先導者・庇護者的な本来の役割を踏み越えて、自分とさらに深い親密な関係を取り結ぼうとする老監督の態度に戸惑いを覚えつつ、撮影現場でさまざまな人生経験を積んでいく様子を、当事者ならではの視点で書き綴ったもの。あくまで小説と銘打たれているとはいえ、その峻厳にして禁欲的な独自の映画スタイルを生涯追求し、映画ファンなら誰もが畏怖すべき孤高の存在として仰ぎ見る、聖なる映画作家として知られるあのブレッソンが、実は何を隠そう、結構な助平ジジイとして
『ジャン・ルノワールの小間使の日記』-「女に好まれる監督が描く風景」 日本映画界で女性から普通にモテそうな印象を与える監督の風景をいくつか挙げるとすれば、なぜか不思議と社会の底辺に暮らす人々を描くポッチャリ型清水宏や川島雄三・今村昌平のさまざまな山並みが思い浮かぶ。もちろん、『有りがたうさん』(清水宏)の峠の山道、『にあんちゃん』(今村昌平)のぼたもち、そして『しとやかな獣』(川島雄三)の夕日の団地での狂乱も。 フランスの清水宏とも言えそうなアンコ型ジャン・ルノワールと、ルキノ・ヴィスコンティの共通項としてよく語られることといえば、ヴィスコンティがルノワールの助監督だったこと(『ピクニック』 1946)。だが、ともにオクターヴ・ミルボーの小説「小間使の日記」に興味を持っていたことははあまり知られていない(ルノワールの『小間使の日記』が日本で公開されなかったのは、戦争直後の話であるとともに、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く