小幡 正雄(おばたまさお、1943年 - 2010年1月2日)は日本のアウトサイダー・アーティスト。居住していた知的障害者施設の中で集めた段ボールに、主に赤の色鉛筆を用いて絵画を描いた。 半生[編集] 1943年に瀬戸内海に浮かぶ岡山県笠岡市の真鍋島に生まれた[1]。中学一年の時に両親が離婚し、その後は母の手によって育てられた。子どもの頃は「一人竹やぶの中で絵を描いているのが楽しかった」とのことで、幼い頃から絵画への興味はあった。 中学校卒業後、岡山県内で溶接工や建設作業員、金物屋の店員など職を転々とし、1975年の、母親の死の前後には精神病院に入退院を繰り返した。その後岡山県内の救護施設に入所する。土木会社に就職が決まっていったん施設を退所するが、人員整理に遭い解雇され、再び救護施設に戻った[1]。 1985年、音信不通であった父親が見つかり同居を始めるが、1989年に父は体調を崩し、小