雨季のバンコク2泊4日旅行記 夏は苦手と言いながら、春先の憂鬱を吹き飛ばしたくて、今年も海外旅行の予定をいれてしまった。昨年20年以上ぶりに海外に足を伸ばし、旅をすると人生の栞が増えることを実感してから、だんだん旅が好きになってきたように思う。 今年の行先は雨季まっさかりのタイ・バ…
WATCHMENのDVDを買った。通して見たのは一度だけ、それからラストシーンを三度見て、あとはずっとオープニングを見続けていてる。ボブ・ディランの粘っこく甘ったるい歌声。for The Times They Are A-Changin'。「またそれ見てんの?」「先輩、オーロラを見に行きましょう」「ああん?」「グリーンランドに行くんです。明けない夜の下でワルキューレの騎行を見るんです」「何よ。寝ぼけてんの?」「時代は変わるんですよ先輩。時代は変わってゆくものなんです」「うわあちょっと来るな」「オーロラを見に行きましょう!」 殴られた。 「Dances with Wolvesって映画があるじゃないですか」「ダンス・ウィズ・ウルブズね」「あれの冒頭でですね、ケビン・コスナーがすげえ格好いい事言うわけですよ。こうです。『フロンティアを見てみたい。それが無くなってしまう前に』」「覚えてないなあ」「
id:NaokiTakahashiさんに名指されていたので何か書くべきかと思っていたら、Apemanさんが圧倒的に詳しく書いていて、もう話としては殆ど終わっているような。 ともあれ私はNaokiTakahashiさんの次のような発言に反応したのです。(すいません。具体的にどのエントリかは略します。) じゃあ脅しみたいに表現の自由に言及するのやめたら? それやってる限りこちらの態度は軟化できん。 表現の自由に手を出さず倫理の範囲でやるなら反対なんかしないさ。 倫理とかの話をするなら俺もこうは言わないよ。 ああ、これなら話が早いなあ、と。 で、それを念頭において 改めて最近のApemanさんのエントリから抜き出してみると、 「表現行為に対する現状以上の法規制を主張したことは一度もない。」 「「表現の自由キリッ」を批判するのは「表現に対する法規制はできる限り回避すべき」という前提があってこそ、と
既に「『「男は女を欲望する」という抑圧』という詳細な解説記事」がアップされていたにも拘らず、なぜ大野さんがわざわざ「ナツ氏と高橋氏のブコメ議論を追ってみた」のかと言えば、「俺はキモオタだまで言わせ」た追い込み方にマゾっ気だか(あるいはサドっ気)を刺激されたからであるのは「まとまらない」「感想」を読めば一目瞭然w 要は女を陵辱して喜ぶ「加害者」のくせして規制された途端に「被害者」面して「表現の自由」だの「フィクション」だの言い出すから反感を買っているというだけの話。腐女子が自らの「表現」の反社会性を認識して世間の表出することから逃げ回っている(=「地下に潜れ」)のに比べて、己が戦って得たわけでもない権利を図々しく掲げて開き直る様には呆れ返るほかない。 そこにどんな「表現」があるのかと問うても「高尚な大テーマがなくったって、否、低俗なものこそ表現の自由で守られるべきだ」(有村談)と開き直る始末
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091217/p1 hokusyu あたまがわるい その 直 前 に 陵辱ゲームも規制されるべきだとは思わないって書いてるじゃねーかw。個別性が問題なのであって一般論で話しても意味がないってか不誠実だっていう意味だよ。 馬鹿なの? ほんとに東大?w 個別性の議論次第では表現の自由がないことを認めるって言ってるんじゃねえかよ。だいたいお前が個人的にどう思ってるかなんて関係ないんだ。決めるのお前じゃないんだから。表現の自由の例外でありうるけど僕は規制しないほうがいいと思うニャー、そんなただの「感想」がなんの役に立つんだよ。表現の自由を認めないってことは、つまり法規制を可能にするってことなんだよ。現に規制論者がいるところでそういうことを認めたら、それは単に規制論じゃねえかよ。 このとおり、Apemanがあげたお二人の文
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く