田島正樹*1「暴力について」http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52138956.html 内田樹氏の「自分の正しさを雄弁に主張する知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性の方が、私は好きだ」という言説に対して、 しかし己れの愚かさを吟味することが、愚かな私にどうしてできるのだろうか? もしそれができるのなら、もはや私は、単に愚かではないことになろうし、自分の愚かさを吟味するだけで己れが愚かさを免れるようなものなら、皆たやすく愚かさを脱するであろうし、また愚かさを脱したと主張し合うだろう。かくて「自分の正しさを雄弁に主張する」ゲームは、一段高次化したゲーム、すなわち自分こそ「己れの愚かさを吟味することができる正しい知性だと雄弁に主張」しあうゲームになるだけである。たしかに哲学的思考は〈思考についての思考〉といった〈メタ次元〉を目指すもので