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哲学と批判に関するishikawa-kzのブックマーク (8)

  • サルトルと私と労働 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)を読んでたら、こんなところがあった。 朝、鳴る目ざまし時計は、私の可能性たる私の仕事に、出かけていく可能性を指し示す。けれども、目ざまし時計の呼びかけを、呼びかけとしてとらえることは、起き上がることである。それゆえ、起き上がる行為そのものが安心を得させてくれる。なぜなら起き上がる行為は《仕事は私の可能性であるか?》といったような問いを免除してくれるからである。したがって、起き上がる行為は、クイエチスム(静寂主義)や、仕事の拒否や、ついには世界の拒否や、死などの可能性を、とらえる余裕を私に与えないからである。要するに、目ざまし時計の音の意味をとらえることが、その呼びかけに応じてすでに起き上がっていることであるかぎりにおいて、この把握は、目ざまし時計の音にその要求を付与するのは私でありしかもただ私だけである、という不安な直観から、私をまもってくれる。同様に、日常的

    サルトルと私と労働 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/13
    初期柄谷、好きでした。私も猛烈に読みました。社会的な自明性の喪失。漱石を通じて近代、労働への疑問。あと自明性の喪失は「フランクル」ではなく「ブランケンブルク」だったかなと思います。
  • 「概念創造のスタイルを変える」という臨床行為 - Freezing Point

    *1 「概念を創造する」といっても、すでにある生産態勢で「創造」したって、同じルーチンでしゃかりきになることでしかない。 当に必要なのは、考える態勢そのものを変えることであり、嗜癖的な労働ルーチンを組み直すことだ。 組み直すことが自己目的なのではない*2。――私が取り組もうとしているのは、嗜癖的固着を避けるための、持続的な臨床活動に当たる*3。 「批評は臨床である」というのは、言葉遊びではないはずだが、今では臨床家の言説そのものが、嗜癖的に硬直している。 *1:投稿者であるaec さんの公開マイリスト:「好々爺なドゥルーズ・シリーズ」 *2:それでは、「組み換えること」に嗜癖してしまう。 *3:たとえば数学のように、嗜癖的没頭によってしか成果を出せないジャンルや作業もある。

    「概念創造のスタイルを変える」という臨床行為 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/13
    「好々爺なドゥルーズ・シリーズ」すばらしい。刺激的。ドゥルーズへの印象が変わりました。概念創造、真面目な作業であり、そしてワクワクするものですね。非常に勉強になった。
  • シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction

    何もする気が出ないときの現象学。ロンバッハとルーマンの時間論の比較。 ゲオルク・シュテンガー(2008) 「時間の諸次元と力動性──システム論に対する現象学の批判」 [原文]/[山口一郎 抄訳] in 『フッサール研究』 第6号:特集「応用現象学の展開」 内的時間意識(フッサール) 現存在の時間性(ハイデガー) 時間の力動的生起──構造現象学(ロンバッハ)とシステム論(ルーマン) 第2回応用現象学会議*の記録。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/care/pdf/2nd_Conference_Applied_Phenomenology.pdf またつまらぬものを読んでしまった。 著者の指摘のうちのいくつかは、限定つきでなら「正しい」とは思う。 たとえば、ルーマンは 「志向性」の働きを──そしてそれだけを──重視しすぎており、それどころか、志向性こそ

    シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/10
    「構成分析という課題)は、それ自体やはりすでに「社会分析」の重要な課題なのだから、その点からすれば、ルーマンの議論はやはり擁護しがたい。」
  • 続けられない - Freezing Point

    「固定された成功状態を実現できなければ、お前には価値がない」とすることが、当の意味での保守だ。最初から到達地点を決めておいて、それに到達できなければ尊厳がない、と見下す。 宮台真司、斎藤環が保守なのは、制作と目的地の関係にある。彼らはすでに「目的地」を実現できたと言い張り、「到達できなければ認めない」という。だからこちらの制作行為が自滅する。 うまくいっていない現実がある、 いちど得た最愛の存在を失った なら、 その最底辺でそれを言葉にし、その内側からつながりを生み出していけばいいではないか。 完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない、 今の自分が決めるべきでもない。

    続けられない - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/30
    「完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない」未来は不確定だから面白いし意味がある。未来のために今ここを犠牲にするのはヤダ。見通しや計画はいるが、その意味を問いたい
  • 仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』 - sekibang 1.0

    今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)posted with amazlet at 09.06.19仲正 昌樹 講談社 売り上げランキング: 692 Amazon.co.jp で詳細を見る 風邪をひいていたので会社を休んで一日中ベッドのなかにいるあいだ、このを読んでいた*1。これは大変面白いだった。近年、各所で「生き生き思想」*2を批判しておられる仲正昌樹のアーレントに関する著作。 「分かりやすい」ことを売りにする「政治思想」(あるいは「政治思想研究」)は、勇ましく威勢がいいので、「政治」をスポーツやゲームのように敵/味方の勝ち負けの問題と考えているような人たちにはウケがいい。(中略)「社会的・経済的格差を是正し、各人の社会的生存権を実質的に保証する公正な社会システムを構築するための理論」とか、「グローバリゼーションに対抗し、国民国家としての伝統を保持する戦略に繋がる理論」とい

    仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』 - sekibang 1.0
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    ishikawa-kz 2009/06/24
    「アーレントにとって、アドルノのファシズムに対する反応は、弱者が共感を求める行為としてしか思えなかったのかもしれない。」しかしこの共同性というか共感をどうとらえるかかなり難しいですね。
  • glocal ethos:「虜囚」「迫害」の主体とは

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/12
    「このレヴィナスの議論は、ユダヤ・キリスト教的な、ヘブライズム系の存在や価値の専横をひっくりがえす論理があるようで、面白いと同時に、それはそれでまた限界面やトラップがありそうである。」
  • 野田正彰『戦争と罪責』 - martingale & Brownian motion

    1998年の出版。昔、雑誌「世界」に連載されていたときに、少し読んだことがあった。あらためて、読んでみて、やはりおもしろい。 ここに紹介しなかった部分にも、非常に多くの重要な認識が書かれています。私は、こののまま、このの記述の順序まで踏襲して、映画にしたらいいんじゃないかと思いましたけど。どう考えても、なんの意味もない、ゴミ・ドラマやってるくらいなら、どれだけ挑戦的でいいかと思うんですけどね。 著者は、医学部精神医学科の出身のようだ。 精神科といえば、フロイトですが、フロイトも、晩年は、第一次大戦後に、大量にあふれた、戦争後遺症にとりくんだ人ですよね。精神分析と、戦争はきってもきれない関係にあるんでしょうね。 結局、21世紀も、マルクスとフロイトなんですかね。 多くの人が忘れているのは、大日帝国軍の軍人として、日の外のアジアで残虐行為をしていた日人は、(もちろん、BC級戦犯として

    野田正彰『戦争と罪責』 - martingale & Brownian motion
  • 「つながりを生む理由」は、「紛争の理由」だ。 - Freezing Point

    強いつながりが生まれる時には、それに適応できない人・排除される人も同時に生まれている。規範意識に照準せず、「環境管理」に照準するのはだから有益でもあるが*1、管理された場所で《つながりかた》はパターン化する。 メタ的な環境管理論でつながれる人は良くても、それができない場合は? あるいは「メタ的な環境管理論」は、それ自体として関係性のパターンになる。 「頭良く考えるとはどういうことか」のパターンが、コミュニティで暗黙に決まっていく。 孤立する人は、たいてい途方に暮れているだけだから、もう一度つながりを作ろうとした時点で、陰湿な共同体主義がすぐに復活する。(「自分だけは特別」と思い込む凡庸なナルシストが作りがちな共同体のパターンがある。「自分だけは、間違ったものに帰依していないぞ」。その思い込み自体がカルトを成している。) 私は、ひきこもる子供をもつ親御さんたちに話しかけるのに、「皆さんは社会

    「つながりを生む理由」は、「紛争の理由」だ。 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/05/26
    「メタ的な環境管理論でつながれる人は良くても、それができない場合は? あるいは「メタ的な環境管理論」は、それ自体として関係性のパターンになる」優れた指摘だと思った。
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