タグ

哲学と表現に関するishikawa-kzのブックマーク (8)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/02/16
    「「翻訳可能でも概念枠は異なりうる」」
  • 少し北の国から:『確実性について』第93〜95節

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/12/19
    「暗黙のゲームの規則が実践の中で変化し、別物のゲームに移行していく可能性」
  • 知覚における算術の誕生 (6) - 現在思想のために

    科学的認識の知覚主義による基礎づけの問題を攻略するために彼が構えた戦略は、身体運動(表情ある身振り)から言語行動が開花するプロセスを跡づけ、これと並行して身体運動としてのアルゴリズム(数えること=算術)から数学への展開を記述することを基軸としたようである。 実際、こうした主題にみちびかれてメルロが筆を執った未完の遺稿が『世界の散文』(Le Prose du monde, Gallimard, 1969.; 『世界の散文』(滝浦静雄・木田元訳)、みすず書房、1979年)である。従来に倍する言語への関心がうかがえる重要な論考であり、言語と算術(アルゴリズム)のかかわりに繰り返し言及の跡が認められるものの、戦略が功を奏したとは遺憾ながら言い難い。 たとえば、言語の創出は解明すべき問題というより議論の「前提」になってしまっている。〔言語の生成については私たちの考え方をすでに何度か明らかにしている。

    知覚における算術の誕生 (6) - 現在思想のために
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/12/03
    「したがって、記号系の発動する機会にはつねに何かが発生するのが目撃されるはずである。(個人的な習慣の形成、テクノロジーの発達、藝術的表現の展開、その他」
  • 知覚における算術の誕生 (4) - 現在思想のために

    メルロ=ポンティには、当初から、知覚主義による科学的認識の基礎づけという哲学的モチーフがあった。(彼がこのモチーフを獲得し生涯にわたりこれを堅持したことについては――知覚に着眼したのは彼のオリジナルな洞察だが――フッサール現象学の大きな影響を見ることもできる。)この問題について彼は『知覚の現象学』(1945年刊)でかなり立ち入った議論をおこなっている。 だが後年に、彼は、ここでの議論が不十分だと自覚することになった。この間のいきさつについては彼自身の証言がある。コレージュ・ドゥ・フランスの教授立候補に際して執筆された報告書である(‘Un inédit de Merleau-Ponty,’ Revue de Métaphysique et de Morale, no 4, 1962, dans Merleau-Ponty, Parcours deux, Verdier, 2000〔「メルロ=

  • 知覚における算術の誕生 (3) - 現在思想のために

    一般相対性理論の確立には非ユークリッド幾何学が重要な役割を果たした。19世紀に非ユークリッド幾何学が構想されるまで、幾何学といえば、ユークリッド幾何学のことに決まっていた。ギリシャのユークリッド(前330年〜前275年頃)が著書『原論』として大成した幾何学である。 この『原論』において示された五つの「公準」のうち五番目で最後の公準がまわりくどい表現をしているために、多くの人に不審をいだかせ、公準としての自明さに疑いが投げかけられた。これは「平行線の公準」と呼ばれるもので、「二直線と交わる一つの直線が同じ側につくる内角の和が二直角より小さいならば、二直線をその側に伸ばせばどこかで交わる」ことを述べたものである。 19世紀になって、この平行線の公準を別の公準に取り換えても整合的な幾何学が成り立つことが証明されるにいたった。数学者たちは、実際に、さまざまなタイプの非ユークリッド幾何学を構成してみ

    知覚における算術の誕生 (3) - 現在思想のために
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/05
    少し難しいですが興味深いです「理性を知覚へばらす方向に問題への答えがあるのではなくて、知覚から身振りと言葉を通して理性まで上昇する方向にそれがあるから」
  • 知覚における算術の誕生 (5) - 現在思想のために

    背負った課題を解決しようとメルロが傾けた努力ははたして報われたのか、初期のメルロの構想が後期でほんとうに新たな展開をなしとげえたのか、それを訊ねなくてはならない。繰り返しになるが、彼の初期の「表現論」から引き出されるいくつかの論点が彼の戦略にたいしてどのように関連するかを確認しておこう。 彼は〈表現〉を身体性に根ざすものとして捉えた。生後間もない幼児が養育者に微笑むことに示されるように、自意識の成立しない段階における身体的所作としての表情こそ表現の原型であり、ここからはまっすぐな経路が発達した子供の身体運動がかもす表情性につながっている。やがて子供は事物を指さしながら発語によってその名を呼ぶことになるだろう。 それゆえ第一に、表情ある身振りから発語が創発される事態におのずと語らせ、それを現象学的記述ですくい取る必要があるだろう。この目的には遣い古された哲学用語は役に立ちそうもない。メルロが

    知覚における算術の誕生 (5) - 現在思想のために
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/05
    恐らく非常に大切な話をされている「メルロの知覚論で重要なのは、〈表現〉としての知覚が――他の表現の場合大抵そうなのだが――知性を原理としないこと、反対に知性の基礎が知覚経験にある、という洞察である」
  • 知覚における算術の誕生 (1) - 現在思想のために

    知覚はすでに表現――もちろん言語以前の――であり、それを「黙した言葉」と比喩できるかもしれない。言葉は様々な方向に伸長して文学、科学、その他、あらゆる言語表現の営みとして綺羅を競っている。だが人間が能くする表現は言語的な種類にはかぎられない。私たちは、絵画、音楽、ダンスなど、あらゆる種類の非言語表現をもっている。しかしながら、この指摘は、表現に関する根事態の単に半面を告げるにすぎない。残りの半面、それはこの事態が可逆性の原形であるということだ。現象学者メルロ=ポンティは身体の存在様態をこの可逆性(revérsibilité)に見出した。 卑近な経験の事実としてこういうことがある。手を差し伸べ机にさわるとただちに机が手に触れるのを感知するだろう。触れること(toucher)は、いかなる瞬間にも、触れられること(se toucher)に打ちされた形式でしか成立しない。<私が机に触る>という一

    知覚における算術の誕生 (1) - 現在思想のために
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/10
    生のものが露出するということは危険なことでもある?「当の知覚物からそのカテゴリーが剥奪される事態が招かれないものではない。それが危険である。もちろんあるカテゴリーが剥がされれば、ただちに別のカテゴリ」
  • 続けられない - Freezing Point

    「固定された成功状態を実現できなければ、お前には価値がない」とすることが、当の意味での保守だ。最初から到達地点を決めておいて、それに到達できなければ尊厳がない、と見下す。 宮台真司、斎藤環が保守なのは、制作と目的地の関係にある。彼らはすでに「目的地」を実現できたと言い張り、「到達できなければ認めない」という。だからこちらの制作行為が自滅する。 うまくいっていない現実がある、 いちど得た最愛の存在を失った なら、 その最底辺でそれを言葉にし、その内側からつながりを生み出していけばいいではないか。 完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない、 今の自分が決めるべきでもない。

    続けられない - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/30
    「完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない」未来は不確定だから面白いし意味がある。未来のために今ここを犠牲にするのはヤダ。見通しや計画はいるが、その意味を問いたい
  • 1