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ブックマーク / notarin.exblog.jp (2)

  • ▶◀ 個人的に追悼を表します。 | 韓国人、嫌韓を見る

    社会は誰かの犠牲によっては変えられない。これからは明るく楽しくみんなで変えていくんだ。それを去年のろうそくデモで実感し感動したことを覚えています。それから政権の過剰防衛による前時代の逆襲。前の世代の考えの顕著化。つまり「誰かの犠牲に悲しみ怒ってみんなで立ち上がる」という図式。日が統治していた時代の万歳運動から民主化革命までつづく「反独裁」時代に有効だった動機。しかし、もはや今の時代。それは流行らない。まさに最後の足掻きなのだ。これからは去年垣間見たあの時代がやってくる。でなければ閉塞のみだ。 最初、「なんだってそんなことを…あなたにやれることはほかにあっただろう」と困惑しながらも、私が彼に「期待」してたことに気づいた。政治活動をやめると宣言してからも、何かしら(それこそ今の政権が勘繰ってたように)を出すなりして、戦うことを期待していたし、検・言の攻撃にも「彼が黙ってやられるわけがない。

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  • 韓国のオタクとしても、やっぱりヘタリアはどうかと思う | 韓国人、嫌韓を見る

    アニメ「ヘタリア」に怒っている韓国ネチズンがいる? ↑に便乗して、ボクもヘタリアを批判してみるテスト(?) このブログ的には2~3年前に語りつくした(はずの)話の繰り返しになるだろうと思うけれど、上記の記事を見て思い出したので改めて書いてみようと思う。 ネット上においての「韓国」のイメージというのは「起源主張」と「謝罪と賠償の要求」という要素が軸となっていて、(それと歴史観の違いからくる齟齬を「嘘つき」ということでオチをつけるのも核心かな)これが大昔に流行った「嫌韓」みたいなものの原動力でもあるけど、今や「笑韓」というか「スルー韓」というか、そんな感じだよね。(当たり前だ。そんなの嫌っててもしょうがない。疲れるだけだ) さて、ここで重要なのは、その軸となる要素が、ずいぶんと肥大されたイメージだということ。たとえばもっとも有名な「韓国剣道起源説」だって、韓国の大手の剣道団体がそう主張している

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