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critiqueに関するj0hnのブックマーク (109)

  • アートを書く!クリティカル文章術 - 情報考学 Passion For The Future

    ・アートを書く!クリティカル文章術 プロが教えるアート批評の書き方。美術、音楽、絵画、映画をどう言葉で表現するか。 「そもそもすぐれた芸術作品は、質的にその芸術固有の媒体(音楽なら音、絵画なら色彩)によってしか表現できないことを表現しています。それを言葉で写し取ることは根的に不可能なのです。この意味で批評の言葉は質的な無力をうちに抱え込んでいます。ボードレールは、批評の言葉が理性的な言葉であることはできず、批評自体がひとつの芸術作品となるほかはないというようなことを書いています。」 メディウム・スペシフィックな性質を乗り越えて、言葉にできない感動を敢えて言葉で伝えようとするのがアートの評論行為だ。そこでは普通は悪文とされるものがアートの批評としては名文とされたりする。映画評論家としてのジャン=リュック・ゴダールの華麗なレトリックの例が紹介されていた。これ。 「イングマール・ベルイマン

  • You Need A Cedar Cue Card Box Full of Hand-Typed Tweets

    You Need A Cedar Cue Card Box Full of Hand-Typed Tweets by Art Fag City on January 26, 2010 · 4 comments Events POST BY PADDY JOHNSON Christopher Weingarten is not asking for enough money. The well-known Twitter music critic of @1000timesyes wants to make a physical object out of his tweets — a tweet box — which will contain 1000 hand-typed 3 x 5 index cards, each featuring one 140-character recor

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  • ARTand ARCHITECTURE REVIEW

    現代アートを対象にした、ウェブマガジンと会員制コミュニティ特集:設計プロセス論の現在 Introduction:藤村龍至 「なぜ今、設計プロセス論なのか」 私たちは何をどう捉え、形にしているのか。1960年代に隆盛を極めた設計プロセス論を、WEB技術が日常生活に実装されつつある2010年の今、見直す機運が高まっている。 Cover Interview:伊東豊雄 「インタラクティブなプロセスを実現する意思」 構造家セシル・バルモンド氏とのコラボレーションなど、アルゴリズミック・デザインを設計プロセスのなかに取り入れ、実践されている伊東豊雄氏にインタビュー。

  • ヨコハマ国際映像祭のレビュー記事:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    ヨコハマ国際映像祭の仕事で、前回の寄稿以降はほとんど展覧会を見に行っていない。そのため展覧会レビューを書くことはできないのだが、むしろ他の人が書いた展覧会レビューは丁寧に見たので、レビューのレビューのようなことを試みることにした。すでに発表されているものと未発表だが原稿が事前に届いているものから、それなりの数の人の目に触れると思われる紙媒体でまとまった分量のものを対象に書いてみる。順番は掲載時期にしたがうものとする。 まず、『Japan Times』11月6日(筆者:Andrew Maerkle)は実施概要を幅広く紹介するもので、後日13日には《PEPPERMINTA》のアジア・プレミアを行なったピピロッティ・リストへ自身が行なったインタビューを掲載した。とくに独自の視点がでているものではないが、記事のなかで取り上げる作品やプログラムに書き手の視点はおのずと現われる。シャンタル・アケルマン

  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
  • Tumblr

  • Deutsche Bank - ArtMag - 55 - feature - Art Blogs for Beginners

  • 浅田彰【キッチュな権威としての平山郁夫】

    新年を迎えて平山郁夫が薬師寺の壁画に最後の一筆を入れる。その儀式をTV中継でみて、あらためて仰天した。風呂屋の壁でもちょっとお目にかからないくらいどぎつく稚拙な絵。それを収めるのに、わざわざ「大唐西域壁画殿」と称する大きな建物まで建てたというのだから、恐れ入るほかはない。東山魁夷が唐招提寺に描いた障壁画も、十分ひどいしろものだったが、平山郁夫の新作は、スケールにおいても、徹底した稚拙さにおいても、それをさらに凌ぐものだ。これらに比べれば、加山又造が天竜寺の法堂に描いた龍の天井画の方が、装飾に過ぎないとはいえ、技巧的に隙が無い分、はるかにましだろう。考えてみれば、下手な絵の挿絵描きにすぎなかった東山魁夷がどういうわけか権威になってしまってから、日画の伝統はおかしくなってしまった。それが平山郁夫とともにとうとう最低点まで達したのである。このような「権威のキッチュ化」は、日画にとどまらず、

  • 思想地図 vol.4、村上隆インタビューなど - Fairytale/Diary  童話日記

    「思想地図」vol.4。「想像力」という特集テーマを中核にしながら、個別の議題として思想、美術、文学、アニメ、政治と、多岐にわたって扱われている。その意図は巻頭、東浩紀によって明らかにされていて、つまり小さな島宇宙間で、個別の読者にのみそれらが読まれるのでなく、むしろこうして複数のコンテンツが集められることによって、各ジャンルごとの読者層の撹乱を狙うという意図によるもの。 特集内の五つのインタビュー、座談会のうち「物語とアニメーションの未来」、「村上春樹とミニマリズムの時代」の二つはそれぞれ、アニメと文学のゼロ年代総括といった感じ。両座談会でのおおよそ共通の認識として、95年あたりでアニメでは「旧エヴァ」、文学では「ねじ巻き鳥クロニクル」を頂点としてゼロ年代はそれぞれの表現が小さな消費者層に向けて自閉していった「ミニマリズム」の時代だった、と。今後こういった「ミニマリズム」的自閉を超えて「

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  • As art critics face sudden planetary extinction | Beyond The Beyond

    j0hn
    j0hn 2009/11/23
    12月9日 / 映像より文章でみたいな
  • The Art & Law Program

    j0hn
    j0hn 2009/11/21
    この中身をざっくり知りたいなぁ 「Are instructors still teaching Craig Owens and Baudrillard as if this was 1986?」
  • Notes on an art crisis

  • Twitter / うーさー: その辺で、ストライクからボールになるインコースのシュ ...

    その辺で、ストライクからボールになるインコースのシュートが投げられるのと、カッとなってコントロールされてないビーンボールを打者に向かって投げるのは違う的な、技術的な批評とただの罵倒を混同してる人が多い気がしないでもない。約18時間前 webで

  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。

  • 『面白い=オレと同じ知識を共有している作者への共感』 - モノーキー

    ▼他の読み手を煽動するような政治的な感想で使われるおける『面白さ』は読み手の知識限界問題。 面白さというのは大抵は『オレの思想に沿っている』とか『オレの所持知識と同じ作者』という理由で使われることが多い。 オレが判る事しか、面白いと感じない問題。 じゃあ、お前の知識の外にある事は下劣で面白くないのかという 昔、欧米が俺らが経済的にも技術的にも勝っているから思想が優れていると思い込んでいたようなアレだな。 ただ、恵まれた環境に居たから偶然、人より一つ頭が図抜けられただけで 同じ環境に居れば、他の同等の知性や文化だって同様に成りあがれたかもしれなかったのだ。 科学技術文化様式の優劣は別なわけで。 文脈として可笑しいという意味で面白いとつかわず、優れているという意味で面白いと使う場合で作者に向けて口ずさむ時は 「オレと同じ思想を理解しているとか考えられる作者は賢しいなあ」

  • http://twitter.com/IronNine/statuses/5067718378

    http://twitter.com/IronNine/statuses/5067718378
  • 第1回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」 | 現代美術のウェブマガジン カロンズネット

    昨年のプレ展に始まり今回第一回を迎えた「所沢ビエンナーレ美術展 引込線」の「企画概要」は展覧会が目指すものを簡潔に伝えているが、その中に「美術家のみならず、執筆者も同じ地平の表現者として参加願うこと」[註1]という一節があり、それが何を意味するのかとりわけ気になっていた。批評家が展覧会のキュレーターを務めることは珍しくないが、その後に続く文章を読むとそういう意味ではないらしい。「美術家はもとより批評家、美術館員、学者、思想家、他の美術を構成するすべての成員に、同じ地平で参加していただき「表現の現場」としての展覧会とともに、会期終了後には作品の記録と批評誌の機能を合わせ持つカタログを出版いたします」とあり、つまり批評家や美術館学芸員などの執筆者がカタログに文章を寄稿することがここでの「同じ地平での表現者として参加」することを意味しているようだ。それはキュレーターとしてとは別の形での「受け手」

    j0hn
    j0hn 2009/10/15
    個々の作品・作家はべつにして、展覧会全体をみたら「上から目線の内輪受け」ってのは一目瞭然だよね。そもそも都心じゃなく所沢のほうでやること自体にそういう意味が入ってるんじゃないの
  • New or Same Old Museum?

    j0hn
    j0hn 2009/10/15
    NY New Museumの批評、みたいな感じ?
  • 新連載 椹木野衣 美術と時評 - ART iT(アートイット)

    今月から月評が始まることになった。いま、その初回の原稿を書こうと机に向かったところだ。月にひとつの展覧会レビューなら『美術手帖』誌で書いているので、ここでは別のかたちを探ってみようと思う。1に絞るのではなく、複数の展覧会や事象について書くことになるだろう。が、いっそ生活するなかで拾った雑事も取り入れ、そこから生まれるリズムのなかで、ざっくばらんに書いていくというのはどうだろう。第一、ここは不透明な紙に印刷された反射文字の世界ではなく、発光するモニターに映し出された透過ウェブでの話だ。日記というのではないにせよ、それ相応の読まれ方というものがあるだろう。もちろん書き方も。 外からの大竹批評 たとえば、いま机上には秋学期が始まり、久しぶりに大学の研究室に顔を出してポストで見つけた新刊が1冊乗っている。ひとまず、そこから昨今の美術の状況について考えてみることはできないか。ここで新刊というのは可

  • 2009-10-13

    Circulation >>> 開催中〜10月25日(日) http://www.misakoandrosen.com/exhibitions/09/09/ http://www.misakoandrosen.com/artists/willrogan/ http://www.misakoandrosen.com/ ◇ Will Rogan - Objet Petit A http://www.smallaprojects.com/artists/willrogan/main.html ◇ WILL ROGAN: Turning moments into memories, moment, after moment, after moment... - Jack Hanley Gallery http://www.jackhanley.com/show.php?show=66 ◇ WILL

    2009-10-13