(僕は渋谷系とかは知らないけど、あの時代に20代だったものとして、90年代についてはそれなりの苦々しさはある。2016年11月に書いたテキストを発掘したので、転載。今も、こんなふうにごまかさないと書けない。) あれは封印されているはずだった。ネオ東京の地下深く、絶対零度の秘密施設に、ってそんな話じゃない。いや、大友克洋という言葉に心当たりがなければ、ここは読み飛ばしてくれ。僕が言ってるのはナショナリズムのことだ。 あれはもう、すっかり忘れ去られて過去のものになり、覚えている者たちも警戒を怠っていないはずだった。だから、僕たちはそれを使って一勝負かける気になったのだ。もちろん、ひどく思い上がっていた。戦後復興、冷戦終結、バブル…。見るべきものは何も見えていなかった。影の部分を忘れて、なんでもできる気になっていたのだ。 「あの時代」の話をしよう。90年代の前半のことだ。僕たちの悩みは大きな問題