「知的生産の技術」の中で梅棹忠夫は日本語でのタイプライター(ひらかなタイプライター)の使用を提唱した。 パソコンがある今となっては想像もつかないような話だけど、当時多くの人に影響を与え、ひらかなタイプライターを実際に購入した人もいたらしい。 でも個人的には、「知的生産の技術」からインパクトでいえば、京大型カードやこざね法に比べれば今ひとつだった気がする。 もちろんぼくが「知的生産の技術」を読んだときには(1992年頃だと思う)、既にパソコンやワープロが当たり前に存在していたからというのもあるけど、それならカードやこざねだって同じことだ(今日の目から見ればコンピューターで代替できるという点では)。 ■ 日本語をタイプライターにのせたいと考えるようになった理由について、梅棹は「美学的なアプローチから」と書いている。自分の筆跡を残すことなく、無個性で美しい活字で日本語が書けることへの憧れ。その上