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2019年10月15日のブックマーク (6件)

  • あざの顔、見るのは仕方ない? 「自意識過剰」で片付けられない問題

    心に引っかかっていた問い 素直な反応に思わず…… 見てしまうのは仕方ないこと? 顔の変形やあざ、まひ、傷の痕……。人とは違う外見の人たちが学校でいじめられ、就職や結婚で差別にあう「見た目問題」。中には、ジロジロ見られたり、逆に無視されたりする人たちがいます。当事者の親として取材を続けてきた私が、他者から向けられる視線について考えたいと、顔にあざの特殊メイクをして、街に出ました。 心に引っかかっていた問い 私は自分の長男(8)が生まれつき右顔の筋肉がなく、笑うと顔がゆがみます。見た目問題に強い関心を持ち、これまで20人ほどの当事者にインタビューをしてきました。 あるとき、顔にあざのある男性が私にこう語りました。 「『見た目の悩みなんてたいしたことではない。大切なのは、顔よりも心だ』という言う人がいます。ならば、顔に赤いペンキを塗って外を歩けますか」 この問いかけが、私の心にずっと引っかかって

    あざの顔、見るのは仕方ない? 「自意識過剰」で片付けられない問題
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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  • 顔に傷をつける「部族の印」、伝統は廃れるのか ナイジェリア

    頬に部族の印があるナイジェリア南西部イバダンの男性(2019年7月1日撮影)。(c)PIUS UTOMI EKPEI / AFP 【10月13日 AFP】今年6月、ナイジェリア北部で6歳の少年が誘拐され、遠くに連れて行かれ売られようとしていた。だが、少年を買おうとしていた人物は取引から手を引いた。 人身売買組織から少年を守ったのは、生まれた時に頬に刻まれた「部族の印」だったと警察は述べた。買い手はこの傷から少年の身元が明らかになることを恐れ、購入を拒否したのだという。 この事件は、1980年代から徐々に消えつつあった部族の印の習慣に再び注目を集めた。「オルーラ(Oloola)」と呼ばれる伝統的施術師らは、子どもに対する危険な虐待だと非難されてきたこの習慣の利点が示されたと主張した。 ナイジェリア南西部イバダン(Ibadan)のオルーラ、マショパ・アデクンレ(Mashopa Adekunle

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  • 意味ある人生を求めて 村山「人生の意味の分析哲学」 - オシテオサレテ

    現代思想 2017年12月臨時増刊号 総特集◎分析哲学 作者: 飯田隆,伊藤邦武,野家啓一,入不二基義,青山拓央,森岡正博,加地大介,古田徹也,森田邦久,井頭昌彦,秋葉剛史,倉田剛,佐藤岳詩出版社/メーカー: 青土社発売日: 2017/11/09メディア: ムックこの商品を含むブログ (5件) を見る 村山達也「人生の意味の分析哲学」『現代思想』「総特集 分析哲学」2017年12月臨時増刊号、266–282ページ。 分析哲学の領域で、人生の意味の問題がどう扱われているかを明晰にまとめてくれている。まったく知らない分野(そんな分野ばかりなんだけど)への案内として、大いに勉強になった。流れとしては、まず「どんな道徳にしたがって生きるべきか」を問うような倫理学は、それだけだとただ道徳的に生きる人間だけに価値を認めることになってしまうけれど、私たちが価値や意味ある人生というときには、道徳以外にもい

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  • CA1809 – 動向レビュー:ホームレスを含むすべての人々の社会的包摂と公共図書館 / 松井祐次郎

    ホームレスを含むすべての人々の社会的包摂と公共図書館 調査及び立法考査局 国会分館:松井祐次郎(まついゆうじろう) はじめに 「公共図書館ホームレス(1)にどう対応すべきか。」これは古くから論じられているテーマである。清重知子は、米国の動向を踏まえ、公共図書館ホームレスに対する態度が二つの立場に分かれていることを指摘している(2)。一方はホームレス図書館利用に消極的な立場(消極派)である。すなわち、ホームレスの体臭などが他の利用者の利用を妨げている点や、来福祉事業が担うべきホームレスへの支援を福祉事業ではない図書館が行うことの矛盾を指摘し、不適切と判断したホームレスに対する退館強制を含む利用規制を強化する。他方の立場はホームレス図書館利用に積極的な立場(積極派)である。すなわち、図書館歴史的に担ってきた民主・自由社会の発展への貢献という使命の中にホームレスとの関わりを位置づけ、

    CA1809 – 動向レビュー:ホームレスを含むすべての人々の社会的包摂と公共図書館 / 松井祐次郎
  • 「本当のグリム童話」はなぜ残酷で恐ろしいのか

    晩年のグリム兄弟、ヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリム。立っているのがヤーコプ。1850年頃に撮影された銀板写真。(PHOTOGRAPH BY AKG/ALBUM) 民話の発祥は、人類の文明そのものと同じくらい古い。長い時を経て、語り継がれたものと書き記されたものを織りまぜ、人々がそれぞれに紡いできた細部の異なる物語。それが民話だ。 例えばシンデレラの物語は、古代中国や古代エジプトにもある。だが、話の細部は、各地の文化によって変わる。ガラスのはエジプトでは赤い革製で、カボチャの馬車は西インド諸島ではパンノキの乗り物だ。「召使いのように扱われていた娘が王子様と結ばれる」現代版に慣れ親しんだ人々にとって、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が1812年に出版した民話集のシンデレラは、衝撃的かもしれない。(参考記事:「当はおぞましいアラジン、映画と原作どう違う?」) グリム版では、ヒロインは

    「本当のグリム童話」はなぜ残酷で恐ろしいのか