先日、別ブログでパワポのプレゼンには向き不向きがあるよねとか書いたら、予想外の反響があったが(僕の意図を取り違えているのも見受けられたが、そういうのもネットの定め、仕方なし)、昨日東京大学出版会のPR誌『UP』5月号を読んでいると、我が意を得たりというエッセイがあった。 松浦寿輝先生の「かつて授業は「体験」であった」というエッセイである。 パワポを使った分かり易いプレゼンなどというのとは位相(というか次元)の違う「体験」の思い出話である(松浦先生は「最近は学生による授業評価も盛んで、パワポを使ってわかりやすい講義を、などという声も聞かれるけど・・・」という感じで話の枕にしている)。 その先生の喋ることが殆ど判らないのにもかかわらず何故か耳を傾けてしまう、そして震撼させられてしまうような体験。松浦先生が提示するのは、そのようなある意味「戦慄する講義」の体験談である。 具体的に松浦先生は東大駒