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部分と全体に関するjambloggerのブックマーク (2)

  • 社会科学基礎論研究会〜竹中均『精神分析と社会学〜二項対立と無限の理論〜』報告要旨

    拙著『精神分析と社会学―二項対立と無限の理論』を読んでいただいた方はどなたも、『精神分析と社会学』という極端に大きな題名と、実際に論じられている事柄の小ささとのあまりの違いに、誇大広告ではないかとご不審に思われるに違いありません。私自身、この題名の適否については考える余地は大いにあるとは思いますが、それにも拘わらず、『科学的心理学草稿』という小さな文章が大きな問題と関わっているに違いないという見込みは、未だに捨てきれないというのが、正直なところです。 この点について少しでもご理解いただければと思い、補助線として、ここでご紹介したいのが、中沢新一さんの講義録『対称性人類学―カイエ・ソバージュ�X』(2004年、講談社)です。この著書は、一連の講義録シリーズの最終巻であり、「ひとつの一貫した思考によって、レヴィ=ストロースの神話論、クラストルの国家論、マルクスの経済学批判、バタイユの普遍経済学

  • 外務省: 文化外交最前線―第18号―

    文化外交最前線 ―第18号― 2005年7月29日 近藤誠一 はじめに でも嫉妬深い人はそれでは満足しないでしょう、 理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから 嫉妬するんですもの。嫉妬というものは みずからはらんでみずから生まれる化け物です。 今月のテーマ:世界文明フォーラム-その3:部分と全体 <部分と全体> 世界文明フォーラム2005でのもうひとつ印象に残った議論は、エルサレムのアル・コドウス大学ヌセイベ学長の「調和としての正義」に関する議論です。彼は人間はそれぞれが個々の独立した主体ではなく、あくまで全体の部分であると考えるべきであると言いました。イスラエルとパレスチナの紛争を例にとりつつ、2つの独立した主体がそれぞれ「権利」を主張し、特定の領土の所有を争えば、一方の成功は他方の反撃を生みます。どうすれば2つの主体の間の公平fairnessが確立できるかという問題は、解決できま

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