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8 戦後日本国家の二つの性格 前回の末尾で、和田・佐藤・荒木のうち、「勝者は誰なのか」という問いを立てた。 少なくとも一つだけ言えるのは、佐藤が負けていないということである。逆に言うと、外務省=日本政府の意志は貫徹されているのである(念のために言っておくが、私は佐藤が日本政府の意を受けているなどと言っているのではない。外務省の見解を保持している人物の行動が、このように機能している、と言っているのである)。 和田は、荒木のような極右を包含したつもりになっていると思われる。和田からすれば、外務省は、「平和国家」日本だ。だから、和田と外務省の「平和国家」連合軍は、極右を封じ込め、毒抜きしたことになるわけである。だが、外務省=「平和国家」日本は、同時に、大日本帝国と何ら断絶しておらず、植民地支配の法的責任、戦後補償を一貫して否定している国家である。したがって、客観的に見れば、和田こそが、荒木と外務
国会の開会で、天皇陛下のお気持ちが込められるよう、配慮した方がいいのでは、と岡田外相が述べた件については、ご当人からエクスキュースが出ているようだ。 それを読めば、やはりこの人らしく、原理主義的な思考をしている。 天皇の国会開会宣言は国事行為であり、それに伴う「お言葉」もそれに準じるもので、終始、内閣の統制下にある。つまり岡田外相は内閣の一員として、アドリブ(めいたもの)を挿入する演出上の工夫を提言したのであって、それ以上でもそれ以下でもない。 天皇陛下に注文をつけた訳でもなければ、国事行為の法的性格を否定したわけでもない。 「企画会議」において企画立案の意見を言ったまでのことであり、法的には何一つ間違ったことはしていない。 とは言え、岡田外相のこの発想が象徴天皇制下で、天皇の役割に従来の枠を超えて積極性を与えようとする、踏み込んだ考えであるのは否定できず、この発想には左翼からこそ反発が出
元「エジプト アラビア語語学留学ブログ」。翻訳と留学記録・旅行記、イスラーム関連のメモ سبحان الله وبحمده سبحان الله العظيم 日本では、自殺者の遺族が変な社会的負い目を負ったり、葬儀ですら差別的待遇を受けている、という報告を目にします。「自殺用の施設を作れ」といったラディカルな意見もあります。 「死ぬのは本人の勝手、迷惑かけないように死ね」「死んだ者にそれ以上鞭打つような真似はするな」「家族は関係ない」といった考えには、基本的なところでは素朴な共感を抱きます。 自殺について、数回だけエジプト人と話題にしたことがありますが、どれも「馬鹿げた行い」と鼻で笑うような反応でした。イスラーム的に自殺は「罪」なわけですが、それ以上に「笑い話」のような扱いをしているように見えました。 日本にある程度関心を持っている人なら、日本が非常に自殺の多い国である、と知っているのも
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